ただの備忘録

未来の自分に贈る、舞台の記憶と感想

「エリザベート」2016@帝劇 感想その2 ~2人のルドルフ~

 その1からの続き。

ta-ma27.hatenablog.com

 

熱量がありすぎて、なかなかの長文になってしまった。書きたいことがありすぎて、まとまりないけどとりあえずupしてみる。後日、加筆修正するかも。

 

古川ルドルフ。自分が行ける日とお譲りがでる日程が上手く被らず、3回だけの観劇。6/30マチネ、7/10マチネ、7/24マチネ。帝劇公演が終わって振り返ると、丁度いいスパンで見られたなと。だって、見るたびにルドルフが違うんですよ?しかもどのルドルフも美味しくいただけるという。凄いなぁ。

※千秋楽に向けて演技を仕上げていくということではなく、役との向き合い方、演技プランを少しずつ変えてみるという意味合い。どの公演も素晴らしいルドルフでした。

 

 6/30マチネ:わたしの初エリザ。なんとなく話の流れは知っていたのだけど、2幕のルドルフの場面は摂取したい情報が多すぎて脳がスパークしてた。

 まず古川ルドルフが出てきた瞬間、「革命家がいる」と思った。1789のロベスピエールの残像がどこかにあるような(見ている私自身の古川くんに対するそういった印象が強かったのかもしれないけど)。眼差しの強さ、父親である皇帝フランツの政策に対する怒り、もっと国を良くしたいという若い意志。そこには「ママに会わせて」とゾフィーに懇願していたあの幼いルドルフはいなかった。

反乱を起こして敗れ、名を問われ「ルドルフ……ハプスブルクっ!」と答える姿には悲壮感はなく、まだ強い意志を感じた。そのあと、父親に蟄居を命じられるんだけど、去り行くフランツに向けて「父上っっっっ!!!」と怒りを全面に出してた。そして再び思う、「革命家がいる」と。ママ鏡でシシィに拒絶されたあとも、絶望というより、国の立て直しを放棄した母親への憤りを感じた。

城田トートとのマイヤーリンク。ほぼ同時だったんではないかな。お互い相手の頭の後ろに手を回して死の接吻。あんまりにも同時過ぎたから、城田トートは古川ルドルフの「友達」ではなく、「もう一人の自分」?とか思ったり。

7/10マチネ:花總シシィ、城田トート、古川ルドルフ。眼前にある世界が美しすぎた。革命家の雰囲気は前回見たときよりも薄れてたのもあって、「ママ」とシシィに呼び掛けるところも前よりしっくりきた。だけどやっぱり儚さはない。強い。国を立て直したい、そのために生きている若さがある。マイヤーリンクではトートダンサーたちに持ち上げられて舞うんだけど、大我ルドルフと比べて重量を感じるんだよなぁ(単純に体重の問題ということだけではなく)。まだ《死》の淵にいないというか。まだ自らの力で舞っているというか。トートから銃を受け取ったとき自ら死を選んだという意志を感じた。この回のマイヤーリンクで初めてエリザで涙を流したんだよなぁ。自分でも驚いた。何の感情が沸いたのか自分でもよくわからない。

ちなみに(初見のときは出てるって知らなかったから)エーヤンとミルクで初めてお姿確認。エーヤン、ものすごい顔出てるね?旗の前にがっつり顔出てるよ?むしろ積極的に出しにいってるよね?どうもありがとうございます!ミルクは平民の格好してるんだけど、隠しきれないスタイルの良さ。足長すぎ。

7/24マチネ:儚い…!噂には聞いてたんだけど、古川ルドルフが儚くなってた…!(震) 相変わらず強さは持ち合わせてるんです。だけどママ鏡でシシィの腰に抱きついたあと拒絶されて手をほどかれた、その手が空を抱き締めたままだった。「ママも見捨てるんだね…」のセリフも、立ち上がってから言うのではなく、拒絶されて呆然として座り込んだまま「ママも…」→ふらふらと立ち上がって「見捨てるんだね…」。

え……?古川ルドルフが儚い…?儚いよ…!!

ルドルフに儚さがあると、そのあとの葬儀の場面でシシィのエゴイストな側面が強調されて、「悲劇」のなかにシニカルな(まさにルキーニが劇中で言っているような)印象が残るような。あとちなみにこの回が初めて井上トート×古川ルドルフだったのだけど、闇広の終わりにガシッと抱き合ってて、双眼鏡を握る力が入りすぎて拍手するまでに3テンポぐらい遅れてしまった。他の組み合わせはそんなこと…!してなかったから…!(だいたいトートがルドルフの後ろから腕を沿わせるみたいな感じだった) 古川ルドルフにとって井上トートは「幼い頃に知り合った友達」であり「同志」なのかな。

 

大我ルドルフ。初めて見たのが6/30ソワレだったのだけど、衝撃を受けた。存在が儚い…!!そして歌もお芝居を上手いね…!?(儚さについては当日マチネで儚くない古川ルドルフを見たから余計そう思えたのかも) 大我ルドルフ、かなりの回数観劇できたのでまとめての感想。

ガラスのような透明感、脆さ。青年となって、父親に対して自分の政治的な考えを主張するときなどは力強い目をしているのだけど、ふと不安そうな表情が顔を覆うとき、そこにはママの帰りをずっと待っていた少年ルドルフが重なって見えた。古川ルドルフは強い、何を言っても揺るがない強さを持っている。だけど大我ルドルフは「本当にこれで良いのだろうか……?」という心の揺らぎが見え隠れしている。革命家たちに持ち上げられて反乱を起こしたときでさえも、周りが戦っているなか一人だけ一瞬立ち止まって苦悶の表情を浮かべていた。

7/24マチネは冒頭の昆布のところ(←言い方)、光が当たらないところで革命家のエルマーとじっと見つめあってた。エルマーが何かを伝えたそうに手を差し伸べたのだけど、ふっと視線を外したルドルフ。反乱を起こすも鎮圧され軍に取り押さえれて名を問われたとき、エルマーが「名乗ってはならない…!」と言いたげな表情で首を振っていた。エルマー役の角川さんは雑誌のインタビューで、エルマーは決してルドルフを利用していたのではなく、同志として革命を起こそうとした、と仰っていた(注:ニュアンスなので悪しからず)。舞台上ではそこまでの描写はないけどエルマーは監獄のなかでルドルフの自死を知ったであろうと思うと、冒頭のエルマーがルドルフに手を伸ばして苦しげな表情をしていたのは、ルドルフを巻き込んだことへの懺悔なのか、若い命を自ら終わらせた彼へのやりきれない思いなのか。そしてそんなエルマーに対して目を逸らせるルドルフ。お互いの胸中を思うと苦しくなる。

名を名乗るところも古川ルドルフと違って、悲愴感に溢れていた。もう終わりだ、国を建て直すことも皇太子としての身分もすべて失ってしまった、と。フランツに蟄居を命じられたときも、「父上……」と手で口を覆い、膝から崩れ落ちるルドルフ。そこに怒りは微塵もなく、ただただ絶望にうちひしがれていた。その後のママ鏡でも、シシィに拒絶されてただひとつの頼みの綱も失った絶望感に満ち溢れていた。そんな彼に「死にたいのか?」と囁くトート。マイヤーリンクの大我ルドルフはもう死の淵にいるようで、重力を感じない。ふわっと舞い上がって、そのまま消えてしまうのではないかと思う。儚い。とても儚い。トートが銃をルドルフにかざしたとき、はっと自分を取り戻して、銃を受け取ろうとする右手を必死に左手で抑える。だけど銃を受け取り、銃を見つめながらニヤッと笑い、トートの顎に手をかけ、死の接吻。その後のすっと表情を失い引き金を引く。この一連の流れが美しいんだよなぁ。

死の接吻で書き残しておきたいのが、7/5ソワレと7/マチネの城田トート×大我ルドルフ回。他の組み合わせより口づけしてる時間が明らかに長かったですよ?大我ルドルフが顎クイしてからの接吻なのだけど、そのあと城田トートがルドルフの頭に手を添えて、魂吸いとってるみたいに長かったよ?美しいね?あと7/18ソワレで気づいたのだけど、大我ルドルフは目を開けたまま接吻してるんですね。口を離した瞬間に目に宿っていた感情が消えていく様もまたゾクッとした。

7/24マチネの「闇が広がる」では井上トートに「王座にー座るんだー !」とけしかけられたとき、ニヤっと笑ったんですよね。そのあとすぐに目に力を宿して「王座ー!!!」と高らかに歌っていた。痺れる。この場面と「我慢できなーいー!」と歌うところ、好き。めっちゃ好き。(急に語彙力失う)

 

東宝演劇部が空前絶後のご熱狂に答えて、ありがたいことに2016年のエリザベートがDVD として発売決定しています。が、J事務所といろいろあるのか大我ルドルフは残りません。本当に残念(劇場アンケートには熱望を書き続けるけどね)。もし再演することがあっても、大我さんの力強さがありながらもガラスのような透明感と儚さがある、この絶妙なルドルフはきっと「今」しか観れない。決して再び観ることはできないと思うと、もっと観なければという思いに駆られる。それは古川ルドルフも同じで、こんな強いルドルフは後にも先にも観れないと思うし、彼が最終的にどんなルドルフに昇華させるのか楽しみでならない。だからわたしは全力でエリザを楽しむのだ。