ただの備忘録

未来の自分に贈る、舞台の記憶と感想

「フランケンシュタイン」@日生劇場 2020年1月(柿澤×加藤)


かきかず初日、こんな頭抱えることになるとは思ってもみなかったよ!!!!いやーーーこんなことになるとは。

初演かきこににやられた人なので、かきこに優先してチケット取ったらかきかず少なめになってしまった。そもそも柿回が平日マチネに多かったのがいけない←。でもSPの日を除いたら全部で7回しかなかったから、行けた方と言えばそうなのかな…(納得はしていない)

・1/11(土)マチネ:柿澤、加藤、大矢、浅沼

・1/13(月)マチネ:柿澤、加藤、小林、山口

・1/25(土)ソワレ:柿澤、加藤、小林、山口

・1/27(月)ソワレ:柿澤、加藤、小林、山口

  

「君の夢の中で」

初演は泣きじゃくる柿ビクターを励ますために無理やり笑顔を作っていたけど、断頭台の前では共に生きる未来への未練から言葉に詰まらせて涙を浮かべた笑顔で最期を迎えた和樹アンリ。いや、こっち(観客)はそれを前提に観ているじゃないですか?特に初日。それがビクターに命を捧げる「喜び」に溢れていて。何なら裁判のときから微笑んでいるし、断頭台へ上る足取りにも迷いがなく、輝く笑顔で「夢の中でーーーーーー生きよおーーーーーーー」とスコーンと綺麗な高音。いや、ちょっと待て。待ってくれ。どうした、何があった。初日、大パニックですよ。

日生後半(1/25ソワレ以降だったかな?)、ルンゲの回想で「逃げろ ビクター連れて すべては僕がやったことにして」と歌う場面、笑っていた。自分の使命を果たす時が来たと言わんばかりの笑顔。恐怖すら感じた。和樹アンリって社交性もある(ように見える)し、周りからの信頼も得られていただろけど(推測)、どこか潔癖なところも感じられて。冒頭のワーテルローで「殺せばいい」と言うのは人間への諦めというか、自分の理想・主義に反するような社会には生きる価値がないという理想主義者だからなのかな?という気がした。それ故に自分が投げだした道を進むビクターは本当に輝いて見えただろうし、崇拝するレベルになってしまった。

裁判で柿ビクターが自らの罪を証言したときも、和樹アンリは首を小さく振ったり、証言をやめろと言わんばかりの表情をしたり。ビクターの証言が取り下げられた時にはほっと安心して微笑している。ビクターへの想いが真っすぐすぎて、眩しすぎて、怖い。日生後半(前半はしていなかった記憶なんだけど、中盤辺りからやっていたのかな?)、裁判終了時、傍聴していたジュリアに向かって微笑んでいたけど、柿ビクターはジュリアじゃどうにもならないんで…託す相手間違っているというかアンリじゃなきゃダメな子なんで…。和樹アンリはそういうところ分かってない!!!

初演のかきかずは互いに「同志」と思っていたように感じられたけど、再演では柿→和は「同志」、和→柿は「崇拝」というアンバランスさ、しかも互いにその想いのベクトルの違いに気が付いていない故の悲劇。かきこにの悲劇と違うのは、かきかずは止めることができた悲劇。ちゃんと牢獄で膝突き合わせて話していればこんな結末にはならなかったよ??和樹アンリはたくさんの人がいる中で柿ビクターを見つけたけど、柿ビクターは和樹アンリたった一人だけなんだよ??わかってる????和樹アンリがいなくなったら、柿ビクターは1人になるんだよ??????

君夢を笑顔で歌う和樹アンリの後ろで、えっぐえっぐ泣いている柿ビクター。そして泣いている柿ビクターに笑顔で「夢諦めないと」と誓わせる和樹アンリ。アンリ、お前はたった今、柿ビクターに残酷な呪いをかけたんだよ??わかってる???かきかずだと、和樹アンリの両肩を掴んでぐわんぐわん揺らしたい衝動に駆られる。

 

「生命創造の夢を叶える」という呪いをかけられ、和樹アンリによって一線を越えさせられた柿ビクター。愛おしそうにアンリの首にそっと顔を寄せる。再演で柿澤さんの「俺」と「僕」の使い分け(演じ分け)が凄く明瞭になったと思う。「俺」と言うのは「偉大な生命創造の歴史が始まる」と2幕ラストの「俺はフランケンシュタイン」と叫ぶところの2箇所だけ(だよね?)。柿澤さんは自分を「俺」と呼ぶ状態になるのがここの箇所だけというのが凄くわかるビクター像。

神よ祝福を さもなくば いっそ呪いをかけろ 新しい命よ

俺はフランケンシュタイン

ここの場面、片膝ついて十字を切る姿が本当に好き(あきビクターはこの動作していなくてびっくりした)。柿ビクターは母親が治るように神に祈ったとき以来なんじゃないかなぁ、十字を切ったの。そしてアンリと初めて会ったときの「神は信じている ただし祝福ではなく呪いをかける存在として」が効いているよね。神の呪いを祝福に変えさせてやる、という決意。この曲、狂気という言葉で言い表せがちだけど、私は柿ビクターではいわゆる狂気を感じない。自分の呪いに抗おうとした人間の決意と親友を救いたいという純真な想いが、結果として狂気的なことに繋がった。

怪物が生まれたときの子供をあやすように愛情を注いでいたのに、生まれたのはアンリではなかったという絶望。 

神よまたも呪うか 容赦もなく襲い掛かる

ここの柿ビクターの心の死に具合が堪らない。呪いにも勝てず、親友も救えなかった更なる絶望。発砲する瞬間に怪物を直視できず、目を逸らす柿ビクター。2発とも。行動と心が一致せず、怪物を殺せない柿ビクターつらい。あきビクターはめっちゃ標準合わせて発砲してるからびっくりする。

 

怪物として誕生した場面。何度見ても加藤くんの足首の関節の可動域がおかしなことになっていて観ている方が怖い。人間って足首で歩行できるんですね…?和樹怪物は赤ちゃんっていうのは初演から変わらず。闘技場で柿ジャックの凌辱も意味はわからずといった感じ。再演からだと思うんだけど、カトリーヌとの会話中にアンリの回路が繋がったような瞬間が出てるよね?「ほっぎょぐ」と発音していたのが「北…極…」と一瞬だけ。顔の歪みもその瞬間だけは消えて、アンリの顔。加藤くんすげぇな…。

カトリーヌへは慕う、という気持ちかな。初めて知った優しさ、温かさ。毒入りの水をもらうときも、こに怪物のように手を触るときに愛しさを込めてというよりも、嬉しさのあまり触れていた。チューバヤに負けたあと、カトリーヌが痛め付けられている音の意味もよくわからず、音のする方へ意識を向けている姿が悲しくなるし、「こっぢを見ないで 化物ーーーーー!」の言葉の意味もわかっていない。

和樹怪物の幼い知性が急速に発達したのは孤独と怒りによって。特に「怒り」が爆発的に生まれたんだろうなぁ。 

血は誰かの血、肉は誰かの肉

心臓は今も生きろと激しく脈打つのに

この箇所の歌いかたが凄く好き。怒りが復讐の源というのが伝わってくる。

 

エレン死後に2人が対峙するとき、あんなぼろぼろになっている柿ビクターを見ても、まだ和樹怪物は怒りを抱いている。柿ビクターがエレンを生き返らそうとするときの「僕が今助けてあげるよ」は絶対生き返らせることはできないとわかるし、彼自身も心の奥底でわかっているのでは。アンリを生き返らせようとした時のようにもう一線を越えられない。子供の頃から「助けたい=生き返らせる」という方程式しか知らない子、それを突き詰めようとした子だから。それでも怒りで復讐を突き進める和樹怪物と自分の行動がビクターを救うと信じて突き進んだ和樹アンリはやはり同じ人間だということを強く感じる。怒りが行動起因だった和樹怪物が、「傷」でその炎が鎮火しているのはなぜなんだろうとずっと考えている。うーん、満足したのかな…?満足というかやり尽くしたというか。北極でビクターに撃たせた和樹怪物が言う「わかるか、ビクター」の声の穏やかさ。ここ、柿ビクターはやっぱり撃つときに顔を背けているんですよね…。そして柿ビクターに頭を抱えられ、笑顔で事切れている姿。穏やかな笑顔。初日に観たとき、あまりの衝撃に涙が止まらなかった。君夢では笑顔で断頭台を上った和樹アンリと柿ビクターの腕の中で穏やかな笑顔を浮かべて最期を迎えた和樹怪物。

怪物の望みは「昨日初めて見た夢 誰かに抱きしめられていた 胸の丘に顔を埋め笑ってた 夢の続きを生きてみたい」。あーーーー和樹怪物は夢の続きを北極の地で、柿ビクターによって叶えさせたんだ。ラストの「俺はフランケンシュタあああああああ゛あ゛あ゛い゛い゛い゛ん」。呪いの深みに落ちてしまった柿ビクターの慟哭。和樹アンリも和樹怪物も自分の夢や望みを柿ビクターによって叶えたけど、柿ビクターにとってこんな残酷なラストがある…???2度も親友を殺したという事実が柿ビクターの心を引き裂く結末。地獄。柿ビクターにとって救いようのない地獄…。

 

フランケンで唯一の明るい場面の酒場。柿ビクターは和樹アンリともこにアンリとも腕をクロスして飲むんだけど、乾杯した後の柿ビクターのビアマグを覗き込んだかと思ったらおもむろにビアマグの底を持ち上げて無理やり飲ませる和樹アンリのアルハラ具合に悶えたことを記しておく。かきかずも映像化してくれえええええ。

 

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