ただの備忘録

未来の自分に贈る、舞台の記憶と感想

「ナイツ・テイル -騎士物語-」@帝国劇場 2018/8/6マチネ

チケット取れないかと思ってたけど、一般で電話かけ続けたら取れたー!!奇跡!!久しぶりにあんなにリダイアルしたわ笑

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演出:ジョン・ケアード、脚本:ジョン・ケアード

作詞・作曲:ポールゴードン、日本語脚本・歌詞:今井麻緒子

出演:堂本光一井上芳雄音月桂上白石萌音岸祐二大澄賢也島田歌穂、他

 

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ミュージカルって再演多いから、新作ってワクワクする。原作はジョヴァンニ・ボッカッチョ[Teseida]、ジェフリー・チョーサー[騎士の物語]、ジョン・フレッチャー/ウィリアム・シェイクスピア[二人の貴公子]の3作品をもとに、光一くんと芳雄さんの2人を念頭に制作されたとのこと。

 

以下、ネタバレあるよ。

 

STORYに「艱難辛苦を経て再会した2人は、どちらがエミーリアを得るにふさわしいか男か、愛と名誉そして生死を賭けて決闘を挑むのだった―。」ってあるとさ、2人の男が苦しみ悩みながらも愛のために闘うっていう壮大なお話かと思うじゃないですか?わたしはそう思ってました。でも蓋を開けてみたら、美しい2人の男が1人の女性を巡って争うけど、超ポジティブに物事を捉え続ける悲壮感のかけらもない面白ミュージカルでしたw

・萌音ちゃん演じる牢番の娘「背の低い方よ!」(光一くん演じるアーサイトを指して)

・桂ちゃん演じるエミーリア「あんなにハンサムでなければ!」(アーサイトについて)

すげー当て書きww 「そうだねww」という感想しかないw

基本的に一目惚れする人たちしか出てこない。そしてその思いのまま行動に移すから、話がすこぶる明解。牢に閉じ込められても超ポジティブだから楽しんじゃうし、エミーリアを先に見たのは自分だって小学生のように言い争うし、生死を賭けて決闘する前夜に飲み明かそう!って両陣営で酒盛り始まるし、パラモンとアーサイトは生きてるの楽しそう。これは喜劇なんだと思考を切り替えたら楽しめた。

舞台セットは鳥の巣のような囲い。その上で演者が待機していて自身の出番がくる形式で新鮮だった。オケだけではなく、和太鼓も加わっていたのでシェイクスピアの物語だけどどこか日本を感じる音楽だった。美しい旋律だったけど、個人的には耳残りが弱かったかな。それにしても照明の美しさは本当に素晴らしかった!!!セットがシンプルな分、照明が色鮮やかに映えていた。2階A席で特段推しがいるということもなかったので、あまりオペラも使わず全体を観ていたんだけど、本当に美しかった~。あと流れるような盆の使い方が良かった。

 

光一くんは思った以上にミュージカルの歌唱に寄せていた印象。ただ歌に少し癖が残っていたので、ちょっと言葉が聞き取りにくかったのが正直なところ。だけど芳雄さんとの声の相性は凄く良かった!!そして芳雄さんは相変わらずの歌うまお化けでした。わたし芳雄さん観るのいつぶり…?もしかしてエリザぶり…?まじで?と思って公式サイトの出演歴確認したら、ギャツビーも観てたし、なんなら今年の黒蜥蜴も観てたわ。ごめんごめん、記憶に残ってなk(自粛)

ダンスミュージカルと銘打っていたのもあり、光一くんはキレキレに踊っていてさすがだった。芳雄さん、踊ってた…?あまり記憶に残っていないのだが← ダンスは光一くん、歌は芳雄さんと見せ場を作っていたということなのかな。

ただちょっと一言申し立てたいのが、歌穂さんの!歌が!あまりにも!!少ない!!!勿体なさすぎるぞ!!ゴラァ まじ贅沢使いすぎんぞ…。歌穂さんヒポリタの気品溢れる美しさ素敵だった~。桂ちゃんはフランケンのときよりも曲の音域が合っていたのかとても良かった。ヅカの男役さんは手足が長いのもあって、ゴールドのドレスから伸びる腕の長さに見惚れた。萌音ちゃんはとても可愛らしかったけど、我を忘れて狂ったように踊る場面はとても惹き付けられた。それにしても芳雄さんとの身長差がえげつなくて、恋人というよりも娘かな…?と思うほど。

 

一幕ラストがドルガンチェの馬*1だったという呟きを見てしまったがために、演者が豪華なドルガンチェの馬に見えてしまったよ('ω') めっちゃドルガンチェの馬。

 

ナイツテイルの劇中で一番衝撃を受けたのが、牡鹿。松野乃知(読みは"だいち")さんは元 東京バレエ団のお方とのこと。舞台に出てきた瞬間にその神々しさと美しさに目が離せなかった。神聖な牡鹿そのものだった。凄かった。わたしのオペラは牡鹿ロックオン。

 

演者ありきの作品だから、主役2人が揃わないと再演は難しいだろうなぁ。

軽やかな喜劇でした!

 


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*1:ミュージカル「HEADS UP!」という皆に観てもらいたい作品の劇中劇

「タイタニック」@日本青年館ホール 2018/10/6ソワレ

史実に誠実に向き合って作られた作品でした。


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<出演>

加藤和樹石川禅藤岡正明、戸井勝海、相葉裕樹津田英佑渡辺大輔、上口耕平、小野田龍之介、木内健人、百名ヒロキ、吉田広大、栗原英雄霧矢大夢菊地美香、小南満祐子、屋比久知奈、豊原江理佳、安寿ミラ、佐山陽規、鈴木壮麻

<演出>トム・サザーランド

<作詞・作曲>モーリー・イェストン

<脚本>ピーター・ストーン

<翻訳・訳詞>市川洋二郎

音楽監督前嶋康明

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群像劇は月組の「グランドホテル」(2017年)以来かな?同じくトム・サザーランドの演出。トム自身が豪華絢爛なタイタニック号ではあったけど、セットは極力シンプルにしたと仰っていたように、デッキ部分と階段のみ。シンプルだからこそ、そこに生きている人々にフォーカスが当てられていて演出家の思いが伝わってきた。

出演者全員分のお名前を書いた通りメインを張れる役者が勢ぞろいで、観る前から分かっていたけど、目が!!足りない!!豪華すぎるよ~

以下、ネタバレあるよ。

 

 

己の経費削減のためA席での観劇だったけど、1階席でも観たくなる演出。

乗客が次々と乗船していく場面はスピード感があった。客席通路を走り抜けて(※実際には見えていないので想像)、衣装を変えて次々と舞台から出てくる。最初はどれが本役なのか把握できなかった←

 

タイタニック号の行く末を知っているから、1幕の希望や幸せに溢れている場面で泣けてくる。霧矢アリスと栗原エドガーのダンスの場面なんて涙なしに見られない。アリスの上昇志向の強さが最初はちょっと辟易しちゃう感じだったけど、この夫婦の愛の形というのを目の当たりにした。

 

藤岡さんは舞台では初めて拝見したけど、第一声で「この人、歌うまい人だ…」となった。「ボイラールームのアンダースコア」~ディナーまでの演出が凄く好き。怒りに震えなからディナーテーブルの上でダンっと足を踏み鳴らす傍らでは給仕係がきびきびとお皿やナイフなどを整然と並べている。バレッドが足を踏み鳴らすときは直前に給仕が皿を取り上げて磨いている演出が、どんなに労働者階級が怒ろうが上流階級には何も影響がないように思えるし、単純に演出がぞくぞくしますね!

バレッドと上口くん演ずる通信士ブライドのやり取りも凄く好きだ。乗船するときに少し挨拶した仲だったけど、お互いのことを語り、友情が生まれていく。「関係者割引ができるかも」「いくら」「タダ」には思わず笑ってしまった。「プロポーズ」での藤岡バレッドの想いがどんどん溢れてくる様がとても素晴らしかった…。「戻ったら結婚しよう」の答えはその場では明示されなかったけど、二幕で救命ボートを送り出したあとの台詞にその答えが…嗚呼…。

 

三等級の乗客たちのエネルギーに溢れた「なりたいメイドに」。大ちゃん、観る度に上手くなっているように思えて嬉しいよー!(大ちゃんになぜか母性が湧き出る) あと、どじっ子の給仕係がとても可愛かったw。三等級の彼らの行く末はあまりにも悲劇的だけど、ケイトとジムの2人(厳密には3人!)が三等級の客室を抜け出して、救われる結末には希望を感じることができた。わたしは見逃していたけど(だって目が足りない)、ストラウス夫妻が宝石や財布など金目のものをケイトとジムに渡していたと聞いて泣いた…ウウッ…。

 

 

特に心に深く残ったのが藤岡バレッドと禅さんイスメイの二人。

 

冒頭に禅さんが出てきた瞬間、重荷を背負って生きてきた佇まいと表情で涙が出そうになった。寂しそうな悲しそうな眼差し。「いやいや、オーナーって事故の原因作った人じゃん…」と思い直して涙は食い止めたんだけど、ラストの表情とプログラムでイスメイのその後に船の安全に尽力したことを知って、わたしが感じたのは間違いじゃなかったんだと観劇後に気付いた。乗客を差し置いて救命ボートに乗った事実は消えないけど、タイタニックが沈んだあとの彼の人生は1500人の命が常にその背中に重くのし掛かっているような、そんな人生を感じさせた。あぁ禅さん……ウウッ

 

「船長になるために」の歌詞に「(乗客の命は)その手のなかに」とあったのだけど、一幕でスミス船長が手の中にあった氷山を知らせる紙を握りつぶして捨てるさまは最悪の事態が起きることを示してるし、二幕ではマードックが手の中に銃を握りしめて自ら命を絶つ結末は悲しすぎた。これ、英語の曲名が一幕は「To be a captain」で、二幕は「To be captain」なんですね。リプライズなのかなと思ってプログラム確認したら、曲名が異なっていた。船長(資格者)が2人いるなかで"a captain"はスミスのことを表して、二幕でマードックが歌う"captain"は特定の誰でもない「船長」という職を指しているってことでいいんでしょうか…?

 

壮麻さんと禅さんと加藤くんが「誰だ」と互いを責め合う場面、迫力凄かった。だって壮麻さんと禅さんがいるんだよ?凄くない?そしてこの曲で「誰のせいだ」という決着をつけずに終わるのがとても史実に沿っていると感じた。悪者をつくるのは簡単だけど、このタイタニックの沈没はそんな簡単な話じゃないもんね…。

その後、加藤くん演ずるアンドリュースが自室に引きこもって設計図をガリガリ書き直そうとしている姿は狂気を感じた。群像劇の主役って難しいとは思うんだけど、加藤くんは出すぎず、だけど存在感を残していてとても良かった。

スミス船長が船員たちの職務を解いたあと、ブライドが最後の最期までSOSを打ち続け、その周りで必死に祈る仲間たちの姿にぼろぼろ泣いた。そしてストラウス夫妻の気品溢れるダンス。ガウン姿から、メイドたちに身支度を整えてもらいドレス姿へ。最期は美しい姿でという思いに泣けたし、戸井さんのエッチスも素敵だったし、涙が止まらん。安寿さんの気品溢れる美しさ素晴らしい…ウウッ

 

沈没する瞬間、まさかデッキ部分が傾くなんて思ってなかったからびっくりしたよ。そして沈没間際、実際には悲鳴や怒号で溢れていたであろうこの場面をピリッと張りつめ、単純に派手にパニックものにさせなかったトムの演出が、「そこに生きていた人の人生」に焦点を当てることに注力しているように感じた。そして沈没後、救助された人々が「まるでサッカー場のような歓声」「真っ暗な静けさ」と語り、その悲惨さを観客に想像させる。 

 

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上の動画、タイタニックが沈没するまでの2時間40分の様子をその時間のまままとめられたもの。これを観ると、ブライドがSOS信号を出したときにはすでに傾いているじゃんとか、作品を思い出して一層辛くなる。そして最後の沈没する瞬間、「まるでサッカー場のような歓声」も入っていて、静けさに包まれていく様子にますます辛くなる。これが約100年前に起きた出来事。

 

派手ではないけど、心に深く深く染み渡る素晴らしい作品でした。

 

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「シティ・オブ・エンジェルズ」@新国立劇場中劇場 2018/9/8ソワレ、9/9、9/12マチネ、9/17

東京公演お疲れ様でした。ひたすら柿澤さんと木南ちゃん(ときどき山田くん)を観る演目でした。そして「どうやったらもっと良くなったのか、何がいけないのか」と考えながら観るようになってた。チケ代11500円。いつもなら13500円でも「お値段以上!」とホクホクしながら劇場出るのに、「柿澤さんと木南ちゃんいなかったら、金返せレベルじゃんこれ…」となるやつ。そんなわたしがなんでこんなに数を観たかというと、単純に手元にやってきたチケットの座席が良かったからハハッ 後方席だったらすぐ手放してたぞ♥

わたしのこの気持ちを成仏させるための感想。アンケートは最後までおいてくれませんでしたね!(恨み節)

 

 

この公演の感想をググると、わたしの感想が上のほうにきてしまっていてビビった。みんなも感想書いて良いんだよ(もちろん良かったという感想も)。

 ↓前回の感想

ta-ma27.hatenablog.com

 

邪道ミュージカル(※東京楽での出演者コメント)もいいとは思うけど、作品へのリスペクトは必要だと思うんです。あまりにも憤慨したので、海外版のスクリプトをネットで見つけて読んだよ。斜め読みだから正確ではないし、わたしが読んだスクリプトがBWのものかWEのものかもわからないし、もしかしたら誰かが書き起こしたもの(!)かもしれないので悪しからず。それとわたしが読んだものが日本版の元になった版かどうかはわからないので、制作の人が読まれたら何を言ってるんだという可能性もなきにしもあらずです。が、書かずにはいられない。

 

 

  • 脚本について

驚くことなかれ、本筋はけっこう忠実にやっていました。マンドリルがスピリチュアルセラピストって書いてあって頭抱えた。いや、これ福田さんの脚色だと思うじゃん。

ちなみに個人的に福田さん脚色だと思っていたけど、オリジナル通りだったところの抜粋

・Stone:"Slip the pencil under, too."

・Big six:"Hope this don't disturb the neighbors."

・Stone:"Nature's funny."

・Peter:"I'm afraid I'm a bit messy."

・Stone:"I don't remember you and me getting married."

・Mallory:"Sort of mixed double."(※Stoneの台詞ではない!)

・Carla:"There's tons of food out there, Avril." "And now it's time to be hungry, dear.

 

読みながら「まじか…」と項垂れた。確かにこの作品はコメディに分類されているんですよね。初演が1989年で約30年前の作品。笑いのポイントもずれているからかなぁとも考えたけど、2014-2015年にあったWE公演でOlivier賞(Best musical revivalとBest Lighting Designは最優秀賞)を受賞しているってことはそういうことじゃないんですよ。あくまでも想像だけど、笑いの雰囲気としては「フルハウス」みたいな感じなのかなぁと思った(パッと思い付いたのがこれだったけど、年代がばれるw)。シチュエーションコメディというか、ドラマの流れのなかで少しずれた台詞や皮肉った台詞を言う。演出がしっかりしていればそれだけでクスクス笑えると思うんだけどなぁ。先述した「Nature's funny」のくだりのところとか普通に笑いたかったのに、バラエティ番組みたいに笑いを強要される演出のせいで笑えなくなってしまって、後半の観劇は感情が無になっていた。「笑わせよう」としているところが逆に押し付けがましく感じたし、何よりテンポが悪くなって本筋の流れを止めていた。

勝矢さんと二朗さんのターンはあまりにも遊ばせ過ぎてた。この作品を「面白かった」と述べている9割ぐらいの方は、この"福田成分"を面白がっているように思えたのだけどどうなんだろう?作品としての面白味は感じられましたか?この伏線がここで回収されてる、この登場人物はここの場面でこういう表情しているから、こういうことなんじゃないか、こういう話って現代でもこういうことに繋がってるよね、とかそういう作品としての面白味はありましたか?(←これは考察好きの考えかも?)

個人の好き嫌いの範疇になってくるとは思うのですが、わたしは福田さんの"遊び"が本筋とは関係ないところで展開されていて面白くなかったです。観ながら「この時間、いったいなんなんだろう」とすら思ってました。高いお金を払ってこんな思いをするなんて。福田さんの考える「笑い」ってこういうことなの?(今更ですが、個人的に福田さんの映像作品は楽しく見る方です)

そんななか瀬奈さんの役回りはかなり原作に則った笑いの取り方をしていたのではと思う。" it's time to be hungry"の箇所の言い方とか!まぁ完全にグリブラコントの再現だったけど←

 

恨み節が出てしまいましたが、まだ続きます。

海外版スクリプトを読んで気になったところとか諸々

 

①マロリーがなぜ企てたのかという理由。わたしの聞き間違いでなければ「ムニョスが写真を撮ったから」と言っていた。観劇中も「ムニョスが…?」と疑問に感じていてのですが、スクリプトには「Manuelo took some pictures」と。……Manueloって誰やねん!!

って福田さんも思ったんでしょうか。ムニョスがストーンの部屋でマロリーの写真を見て「それにお金が絡んでる」(言い回しはニュアンス)っていう台詞に意味をつけたかったのか?当初、スタインが書いていたムニョスの設定ではストーンのような白人が優遇されていることから憎んでいたけど、ムニョス自身も悪事に手を染めていたら背景がだいぶ変わってきません…?「白人は殺人を犯しても見逃されるけど、白人以外は恐喝でさえ許されない」ってことを示してるの?でもそうだとするとムニョスは早々に警察官辞めさせられてるよね?んん?

 

②ムーニー。これは完全に福田さんの改悪ではなかろうか。わたしも読んでいて驚いたんですけど、ムニョスがウーリーに電話を掛けている場面があるんですよ。

"Oolie? What do you say, sweetheart? ……Right. It's Manny Munoz……."

読んだ感じだとムニョスからウーリーへの一方的な好意なのかな。でもこの場面があれば、ストーンがなぜ「マニー」と呼んだのかが推測できるじゃないですか。ウーリーがムニョスの電話をストーンに愚痴っていたから、ストーンも「マニー」の愛称を知っていた→俺達仲間だったじゃないか、という親愛の意味を込めてマニーと呼ぶ、とかいくらでも。それがマニー→ムーニー→赤ちゃんと思ってるのか→俺がデブだからか→ダイエットする!→ライザップっていう流れよ…文章にするとなんとも悲しくなってくる。

 

③ラストの場面で、「カット!」と叫ぶのは誰か。これも驚いたんですけど、「カット!」と叫ぶのはストーンではなくてスタインでした。これ、だいぶ意味合い変わってくるよ?そもそもストーンはスタインが書いた主人公で、頭の中の人物なわけでストーンが何をしゃべろうが周りの人物には聞こえないはずなんです。だから、スタインとストーンが2人でひとつということを表しているのかなと考えていた(ストーンが感じたことはスタインも同じように感じている)。スタインに「カット」と叫ばせると、自分の意思で止めたという印象が強くなるからかな?ここは福田さんの解釈でもいいように思えた(ようやくAgreed)。

 

④セクハラ、me too問題。これが一番許せなかった。福田さんはこの問題をどう考えているのか問いただしたい。悲しいことに確かにスクリプトにもあるんですよ。

Anna:"See you tomorrow, Mr.Fidller"

(She exists with gurney, Buddy giving her bottom a farewell pat.)

福田さんはマッサージ師をアジア系(って出ている人みんなアジア系だけど)で、片言で話す設定にしていたんですが、その女性が「チェクハラハラチュメント!」と訴える→二朗さん演じるバディが「おいおい、お前何て言ったんだ」(言い回しはニュアンス)と突っ込むんですね。びっくりしたんですが、このやり取りに笑いが起きていたんですよ。演出する側も笑いを取りにいって、それに笑いで応える客。ドン引きした。そのバディの行為に対してスタインが「そんなことやってたら、いつか訴えられますよ。一人がやり始めたらみんなme too、me too言い出すんですよ」と続いてたんだけど、そこでも笑いが起きていて虚しくなった。笑えるの…?みんな面白いの…?スタッフも制作も誰も何も思わなかったの??わたしは嫌悪感しかなかった。この件に関して、福田さんや制作の見解を聞きたい。

 

⑤ラストはスタインが自分の最初の脚本を取り戻してハッピーエンド!という終わり方。これは福田さんが散々笑いを取りに行った結果なんですが、スタインの元の脚本って、シャー芯2Bとかのくだりがあるんですよ(バディが「この2Bと2Hのくだりいるか?」って言っているので、バディの案ではない)。そういうのがあると、スタインが自分の最初の脚本を取り戻しても晴れやかな高揚感が生まれないというか、「あのくだりがあるけど大丈夫…?」っていう思いがぬぐえない。

 

⑥東京後半で、ラストの撮影する場面でバディの台詞が追加されていた。スタインとのやり取りで「映画は俺のものだ」みたいな台詞。確かにバディは人間としてくそ野郎だけど、仕事はちゃんとしているんですよね。「デブだから~🎵」の一連の流れは福田さんの改編だけど、バディ自身はこれを使えとは言っていなくて、「磨け、輝かせろ」とスタインに言っている(結果、スタインはそのまま使った)。それだとバディの仕事ぶりを非難するには弱いと判断したのかな?追加しても別に構いはしない内容だったけど、個人的にはもっと直す箇所あるでしょ?という気持ち。

 

 

海外版スクリプトを読んで感じたのが、この本は「Cover」がキーになっているのではないかということ。スタインは脚本の表紙と映画に自分の名前が載ることに執着して、また女性のことは表面のことしか見ておらず、彼女たちがどういう気持ちなのか知ろうともしない(これは「What you don't know about women」の歌詞にもある)。それが「もう一人の自分」であり「自分のヒーロー」でもあるストーンによって、あらゆる「Cover」の執着から脱することができた。だからラストはギャビーも登場してハッピーエンド!ということなのかと。なお、日本版は無駄な場面が多くて、ここまでのことは考えもできなかったし、感じることもできなかったことを付け加えておきます。

 

 

脚本だけでこんなに書いてしまった。まだ恨み節は続きます。

 

 

  • 演出について

ではここで海外版のCoAの映像をご覧ください(※公式映像です。1つめはOlivier賞授賞式のものなので、実際の劇場とは違うと思いますが照明の違いが分かりやすかったので)。

 

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まず違いを感じたのが照明。皆さん気づいてました?わたしは3回目で気づきました。CoAはハリウッド(現実)セクションはカラーで、映画セクションはモノクロで作られているんです。わたしも事前に海外ではそういう作りになっているということは知っていたのですが、日本版を見たときに「海外版みたいに色味変えてないじゃん!!」って思ったんです。3回目のときに何でだろうと注意深く観ていたら、ちゃんと映画セクションのときは登場人物はモノクロの衣装しか身につけていなかったし、ハリウッドセクションと並んでいるときはグレーがかった照明になっていたんです。驚き。なんでこんなに気づかなかったのか。座席が前方だったからかなとも思ったけど、少し引きで全体が見れる席のときも同じように感じた。恐らくですが、基本的にずっと明るい照明だからではないかと。映画セクションのセットの色味をグレーにしてるけど、それを感じさせない照明とは…?照明担当どなたですか…!?とプログラムをチェックしたよねハハッ

 

あと特に気になったのが空間の使い方。どこかの記事で(日本のやつか海外のやつかは忘れた)、この演目は場面数が多いから上演されにくいっていうことが書かれていたけど、日本版観て「ですねー」という感想。場面転換の度に暗転するので、笑いを取りにいって間延びた分に加えてのこの空白の時間によって集中力を維持できなかった。この脚本でこの演出(+役者の演技)ということを考えるとやっぱり中劇場はキャパが大きすぎる。空間が余りすぎていた。

mdpr.jp

リンク先のゲネの写真を見るとセットで詰まっているように見えるけど、実際はこの写真の枠の外は無です。再度言いますが、無です。オケを舞台上にあげていたの正解だね。オケがいなかったら舞台上空はさらに無の空間になってた。写真の画角内(2mくらいの高さのセット内)は作り込んでいるんだけどねー。空間を活かしきれていない。福田さんは映像畑の人だから、画角内のことしか考えてない?でもブロ銃のときはその点は気にならなかったから違うか…。やっぱりもっとキャパが小さい劇場でやるべきだった。

 

 

  • 今回の公演について

前回の感想でも書きましたが、全体的にクオリティが低かった。芝居、歌、演出。

Prologueのアンサンブルさんたちの歌ですが、この曲を歌いきれるスキルの方たちじゃなかったんでは…という気持ち。楢木さんがジミーとしてメインで歌っておられましたが、うーん…。そしてダンスはお上手な方なのに、今回の振り付けはその魅力が出ていなかった…。アンサンブルさんたちの曲が数曲あるんですが、どれも聴かせる感じではなくて辛かった。わたしは今後の公演でこの方たちのお名前があったら心配になってしまうよ…。

 

芝居に関しては特に優ちゃんが厳しかったかなぁ…。お芝居の仕事をあまりしていないっていう背景があるのは構わないだけど、だったらきちんと演出、演技指導しようよ福田さん。スタインの手紙を読み上げるところとか、ストーンとのやり取りの場面は、何と言いますか観ているこっちが恥ずかしくなってくる感じ…。歌とダンスは上手いと思うんだけど、ギャビーやボビーがどういう人間なのかが伝わってこないんだよなぁ。歌詞もするする~っと頭から抜けていく(但しこれは訳詞のせいもあるかもしれない)。棒読みでもないし、無表情でもないんですけど、芝居ができる人とそうじゃない人の違いを感じた。

「It needs works」のときのギャビーの気持ちが全然わからなくて、怒ってる→急に可愛げ出して甘える→怒り再び→スタイン送り出すっていう流れなんですけど、感情の起伏や真意が掴めない。なに?どういうこと?と英語版の歌詞とにらめっこ(日本語の歌詞は「書いて!」「台無しだわ!」「本読みも付き合うわ」くらいしか記憶に残ってない)。

By the finish, she has banded him his hat. Suitcase in band, Stine exists, leaving a sad Gabby alone.

sad Gabbyなんですよ。ここ。でも優ギャビーはスタインの背中を押して、彼に仕事行ってこいみたいな仕草をしているのですが、どっちかというと微笑んでいたんですよね(っていうかそもそもこの場面、ギャビーが客席に半分背を向けているから前方席か上手側サイド席じゃないと表情見えない)。ここで悲しい表情かそうじゃないかで、解釈全然違ってくるから!!

But call me anytime you seem yourself
When you've decided to redeem yourself
When you discover where this self deception leads
I'd rather see you shoot yourself
Than watch you prostitute yourself
Your new routine is too routine
It needs work

日本語でこんな感じのこと歌ってた…?記憶がない…。この歌詞とsad Gabbyなら彼女の気持ちや一連の行動の理解が深まる。あまりにもギャビーが何を考えているのかわからなかったから、この場面はスタインのギャビーに向ける優しくて柔らかい表情をひたすら愛でていた。

 

あと二朗さんのターンでよく起こっていたんですが、二朗さんがボケてる横で何もせずにそこにいるだけのあなたたち!!お願いだから芝居して!?!?ストーンがボビーの部屋でアーウィンと対峙するとき、銃を構えるだけのストーンとベッドでうつ向いて時々チラ見するギャビー。まぁそもそもの原因はボケを入れすぎて間延びしてるからなんだけどね…。芝居の濃度を密にしてくれ…。それと劇場のサイズにあった芝居をお願いします…。基本的に小劇場サイズ(TVサイズ?)の芝居のところに柿澤さんだけがきちんと劇場に応じた芝居をしてくれていた。

 

あ、良いことも少しは言おう。アドリブっぽい芝居はみなさんお上手でした!どこまでが台本かアドリブなのかわからない絶妙な力加減はさすが。但し「カッキー」って言わせる台本はまじで許さないからな!!グリブラコントはグリブラだけでやってください。

 

本当に柿澤さんと木南ちゃんが出てくれていて良かったよ。木南ちゃんの「You can always count on me」は自虐的な内容だけど、可愛くていじらしいダナとウーリーを魅力的に表現していた。柿澤さんはこの舞台のミュージカル部分の屋台骨だった。東京楽の柿澤さんのFunnyの迫力には圧倒されたし、物語の間を埋めてくれる芝居をしてくれていた。改めて柿澤さんの芝居歌が大好きだなぁと思ったよ。

 

楽曲がどれも素敵なだけに、別の演出家で観たかった。福田さんは王道ミュージカルだけじゃなく、もっと気軽に見にこれるミュージカルがあってもいいじゃないかと仰っていて、それにはとても同意できるんだけど、その結果がこの舞台というのは甚だ疑問。この作品である必要性はあったのか?もとの作品のクオリティからかなり下げられたものを見せられたという気持ちを抱かせる作りに反発があるのでは?その辺りが解消されない限り、福田さんの舞台は怖くて観に行けない。

 

もっと言いたいことあった気がするけど、疲れてきたのでここらへんで切り上げます。また思い付いたら追記するかも。

 

みんなお疲れ様でした!

「シティ・オブ・エンジェルズ」@新国立劇場中劇場 2018/9/1、9/6ソワレ

不安が的中してしまった。ブロ銃のときにCoAは福田成分多目になると監督自ら呟いていたので不安だった。でも僅かながらに期待もしていたんですが…あぁぁぁぁ願い叶わず。本当は劇場のアンケートに色々書こうと思っていたのに、アンケートが置いていない!!!ってことで、思いの丈をここで。(観客の意見は聞かない方針なの…?聞きたくないの…??)

あんまり気持ちの良い感想ではないので、読むかどうかはご自身で判断してください。もしここにたどり着いた方が主催者、関係者の方でしたら読んでください。一観客の正直な感想です。チケット完売しているからといって、良い作品とは限りません。幕が開いたとたん、チケット譲渡が一気に増えた事実が作品の評価を物語っている。

 

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<出演>

山田孝之柿澤勇人山田優渡辺麻友木南晴夏、勝矢、瀬奈じゅん佐藤二朗、他

<演出・上演台本>福田雄一

<翻訳・訳詞>保科由里子

音楽監督・指揮>上垣聡

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 以下、ネタバレ含みます。

 

 

 

 

 

まず全体的に演者のレベルが低い(舞台でのスキルね)。柿澤さんだけ突出して高いレベルで、あまりにも周りとの差が歴然としていて逆に面白い← 

冒頭、アンサンブルさんたちがシャバダバと歌いながら踊るんですが(どちらかというと踊りメイン)、あれ…?心魅かれない…。わたしアンサンブルさんたちの曲があるとテンション上がるタイプなんですが、全然テンション上がらない。舞台の世界観を支える役目としてアンサンブルさんたちって凄く重要なのに、ハリウッドの世界に誘われないし、長い。……あ、そうか、これってスタインの脚本のイントロが長くてつまらないってことを現しているのか(閃き)。

 

今回、柿澤さん以外が映像の仕事をメインでやっている人たちでしたが、うーん…舞台の発声じゃない…。クリアに聴こえる柿澤さんと比べて、舞台を意識した発声ではないためかマイクの音量大きめで余計音が悪くなっている。福田さんの映像作品に多い、平坦で真面目なトーンでふざけたことをやるという演出をするためにはそうせざるを得ないのか。こういう演出なら中劇場ではなく、クリエぐらいの箱の方が良かったんじゃ?

 

あとは歌が「聴かせる」レベルではない。歌唱指導どなたですか!!と怒りながらプログラムをチェックしたよ…フフッ。山田くんは元々の声がジャジーな曲調と合ってて、雰囲気は凄く良い。柿澤さんとの「You're Nothing Without Me」は、二人ともきちんと芝居歌になっているし、めちゃくちゃ盛り上がる!柿澤さんの最後のロングトーンも素晴らしい。山田くんの歌はこの曲が一番良い。あと瀬奈さんとの「Double Talk (Alaura & Stone)」もなかなか雰囲気が良い。歌がうまい人とのデュエットだと山田くんはぐんと良くなるタイプなのかな。だから、優ちゃんとのデュエットは悲しいくらいなんにも入ってこない。優ちゃん、美しいし雰囲気もあるんだけど、言葉が頭に入ってこなくてするする~っと抜けていく。お芝居がなぁ……。ギャビーやボビーがどういう人なのかが伝わってこないから、スタインやストーンとの場面が薄っぺらくなってしまう。「Duet:With Ev'ry Breath I Take」、歌詞が頭に入ってこなくて、2人が切ない顔してるってことしか伝わってこない。あとラストの「I'm Nothing Without You」で優ちゃんがスタインとストーンが歌ってる間に入ってくるんだけど、あまりにも歌えてなさ過ぎて「ごめん、ちょっとそこ入らないで…」という感情が生まれてしまう…。キーが高すぎるのかな?2人の声にかき消されてしまっていて、それなら無理して歌わなくても…となってしまう。

まゆゆはトライベッカの時を考えると歌がとても上達しているから、お芝居がもっと良くなるといいなぁ。というか、めちゃくちゃ出番少ないね?びっくりした。この役にまゆゆをあえてキャスティングするとか、さすが福田さん贅沢遣いwという感じ。

二朗さんは……(自粛)。ただ言わせてほしいのは「これから上手くなります」(※ニュアンス)って歌い終わったあとに言うのずるくない?「"あの"佐藤二朗がやってるから許してくれ」って言っているように感じる。そんな免罪符許しちゃいかんでしょ。それなら言い訳入れずに、潔く歌うだけにしてほしかった。

そんな中、木南ちゃんも初ミュージカル組だったけど、とても良かった!!!「You Can Always Count On Me」はダナとウーリー2役の心境をきちんと現していて目が離せなかった!!芝居歌になってて素敵だったよ~~!!今後も舞台で観ていきたい役者さん(と思ったらカフカご出演!楽しみ!!) ほんとに観客の拍手の大きさは正直だわ、と思った。

 

 

 

福田さんによる演出・上演台本ということで 、ある程度内輪ネタが入るんだろうと予想はしていたけど、時事ネタ・内輪ネタ満載でしたね!ハハッ わたし内輪ネタや時事ネタが好きじゃないんです。なんでだろうと自分でも考えたんですが、「作品をリスペクトしていないから」と感じるからかな。ちょっと趣が違うけど、新感線もアドリブというか時事ネタをガンガン入れても、それは許せるんです。両者の違いは何かと考えたときに、オリジナル作品かどうかの違いなのかなという結論に至った。オリジナル作品だとそういう"遊び"も含めての作品だけど、翻訳物で版権取って…という元々作品として完成しているところに、"内輪ネタ"や"時事ネタ"を入れるということが受け入れられない。こちらは「作品」を楽しみにしているのに、役者の過去作品とかプライベートの情報とか、背景とか知らないと楽しめない作りになっているのが、観客を選んでるとしか感じられない。山田くん演じるストーンや二朗さん演じるアーヴィン/バディを観てもらおうとしていなくて、ストーン演じる山田くんやアーヴィン/バディ演じる二朗さんを見せようという「役者ファースト」な作りが受け入れられない。福田さんは敢えてそういう作りをしているのかな?そんな中、柿澤さん演じるスタインは、きちんとスタインとして生きてくれているので安心して観ることができるし、柿澤さんいなかったら舞台として成立してないわ。ほんとにさー、ストーンとウーリーが格子越しに保釈金について話しているときに天の声が流れるじゃないですか?わたし、脚本を手直ししているバディの声が聞こえる→現実世界に戻るっていう流れなのかな?でも声が二朗さんじゃない気がする…と考えてたらさ、ムロさんだったときの脱力感。完全にヨシヒコ入れてきた。まじかよ…なんで演出家自らハリウッドの世界観を壊してくるの…。乾いた笑いしか出なかった。

 

あと許せなかったのが、me tooをネタにしているところ。あんな風にネタにしていて…浅慮すぎる。全く笑えなかった。制作がOKしたことが信じられないんですけど、誰も何も思わなかったの…??もしくは誰も言えなかったの??あの箇所はすぐにでも変更した方がいいと思います。あーーーーーなんでアンケート置いてないんだよ!!!!冷え冷えになった気持ちになりながら、ブロ銃のときにウディ・アレンの件について何もコメント出さなかったことを今ここでネタにしてんのかな…とか穿った見方をしていた。

 

辛いコメントばっかしてしまったけど、木南ちゃんは良かったし、柿澤さんのお芝居と歌は本当に素晴らしかった。わたしはそこにチケット代払ってる。「Double Talk (Stine)」はステップも可愛くて素敵だし、「Funny」はスタインの怒りと野心が現れていて本当に好き。

 

あと数回観劇予定ですが、より良いものを目指していただきたいです…。


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「モーツァルト!」@帝国劇場 2018/6/2マチネ、6/16、6/23ソワレ

古川くん、帝劇主演デビューおめでとうございました~!

 

・6/2マチネ:古川、平野、涼風、小河原

・6/16マチネ:古川、木下、涼風、小河原

・6/16ソワレ:山崎、生田、涼風、加藤

・6/23ソワレ:古川、木下、香寿、小河原

 

山崎×木下、古川×生田の組み合わせを取っていたのだけど、仕事やらなんやらで手放したりお譲りいただいたり、すったもんだありましたが、なんとかプリンシパルは全員観ることができました。ただアマデの爽ちゃんだけ観れず……ウウッ 本当に東宝は子役のキャスケ公開してくれ…ホリプロの仕事ぶり見てくれ………

 

映像でしか見たことがなかったM!を楽しみにしてました。が、my初日に当たる6/2マチネは古川くんの調子が中々に、というかかなり悪くてですね…。正直に申しますと観劇中は「わたしの13500円……」とどんよりした感情と、今まで見てきた古川くんの舞台の中で一番歌えてなかったので「いや、もっと歌えるよね??どうした??」とヴォルフのごとくぼろぼろになっている彼を心配する気持ちとで、全く芝居が頭に入ってきませんでした。なので最初で最後の平野コンスの記憶があまり残っておらず。悲しいかな。ただ、周りの山口さんや市村さんやそれこそ平野さんが舞台をなんとか支えようという迫力は伝わってきた。

チケットあんまり取らなくて(正しくは"取れなくて")良かったのかもなぁと思ったり。と、初っぱなからネガティブ感想になってしまいましたが、16マチネはだいぶ良くなっていて、23ソワレは凄く良くなってて、結果「チケット…!!」という思考に至りながら私の観劇を終えることができました。

でも出来の落差が激しすぎるのは色んな意味で辛いので、頼むよ古川くん!!!( 私が観劇した回だけかもしれないけど…、それでも頼むよ古川くん!!!)

 

前段長くなってしまいましたが、以下ネタバレあるかもよ。

 

今回の再演ではセットが大きく刷新されていて、ピアノ(正確には"ハープシコード"とのこと)がセットになっていた。そして銀橋追加。そしてそして新曲「破滅への道」追加。

 

古川ヴォルフ、1幕冒頭は小学生男子みたいなあほ可愛さとやんちゃさとエロガキさ。それが母親が亡くなったところから、才能を具現化したアマデという存在とどんどん解離していく印象。「あなたが愛しているのは自分の才能よ」というコンスの言葉にスッと冷める古川ヴォルフ。父親の死後、「大人になるの」「自分の足で立ち上がるの」の男爵夫人の言葉に彼は「アマデではなく、自身の力で作りたい」という思いもあったからなのかな?レクイエムを一人で書こうとしても書けなくて、破っては捨てを繰り返す。6/23ソワレの最期の場面、才能に食い潰されそうになりながら放つ「お前も死ぬ」は道連れにしてやるという意志も感じたけどアマデから羽ペンを受け取ったあと、「僕こそ音楽」を歌う古川ヴォルフの表情は穏やかで歌声は優しくて、最期はアマデとまたひとつになれたのかなと感じた。彼は音楽がすべてで、音楽こそ彼の人生で。

 

育ヴォルフは父親の訃報を聞いて、男爵夫人の「鎖を断ち切り自由になるのよ」が逆に彼を縛り付けているように感じた。「大人になること」「自分の足で歩くこと」に捕らわれてしまったような叫びと取り乱しかただった。最期のレイクイエムを書いているときも、できたと思って見直してみると「…あれ?」と"曲ができていない"ことに気が付く。それまではアマデが素晴らしい曲に直してくれていたのに、そこでアマデがいないことに気が付く。古川ヴォルフのような焦燥感は感じず、才能がない世界に突き落とされた印象を受けた。

 

育ヴォルフはアマデ(才能)を内包しているように感じるけど、古川ヴォルフは自分とは別の存在であるように感じる。「このままの僕を愛してほしい」も育ヴォルフは「アマデを含めて、自分を丸ごと愛してほしい」、古川ヴォルフは「アマデではなく、自分を愛してほしい」という印象。(話戻るけど)だから余計にコンスの「あなたが愛しているのは自分の才能」という言葉が、古川ヴォルフにとっては地雷なんだと感じた。育ヴォルフはこの言葉に特にリアクションはしていなくて、「煩いな」くらいの感情。

 

コンスは「インスピレーションを与えなくては」って自分を追い込んでいくけど、アマデはコンスに興味を示してないんですよね。それって、コンスはヴォルフが作る曲に全く影響を与えていないことなのかな、と思うととても辛い。ヴォルフの曲は他の人間との関係性や教育とかに影響されるものではなく、まさに神から授かったヴォルフ(アマデ)自身の金だということなんだろうなぁ。

アマデがペンを走らせて譜面を書いているとき、ヴォルフの頭の中では次々と音楽が生まれていることを現していて、母親が死んだときも父親が死んだときもアマデはペンを走らせ続けているのを見ると、悲しむエネルギーさえもアマデに使われてしまっているんだなと。アマデがコンスには見向きもしないのは、コンスが愛したのはヴォルフ自身だったからかな?父親も男爵夫人もアマデという才能を愛して、伸ばそうとしていたから、アマデも彼らには反応しているけど、コンスが来るとどこかへ行ってしまう。人が人として生きていく上で当たり前に生まれる日々の感情のエネルギーもアマデにとっては無駄なものだから、コンスに心が奪われているヴォルフに嫌気がさしているのを感じた。

 

ところで(?)、私めちゃくちゃ木下コンスが好き!!もともと歌声が好きなのもあるんだけど、「ダンスはやめられない」の木下コンスのいら立ちや、ヴォルフを愛しているからこその「インスピレーションを与えなくては」までの流れが自分の中で凄くしっくりきた。最後壁にもたれかかりながら細い声で歌う「インスピレーション与えなくては」に、どうやっても彼に影響を与えることができないと本当は悟っている。生田コンスは平野コンスの雰囲気を感じたけど、「悲しい子」「愛を乞う人」という印象が強い。コンスの激しさを感じられなかったのが残念。ピアノの上のバラを手で払い除ける仕草が感情に乗ってしているというよりも、「振り付けでやっている」という感じが否めなかったので今後の成長に期待。

 

あとわたしが気にして観ているせいもあると思うんですが、憲ちゃんアマデの存在感凄くない?「神の子」という言葉に納得しかない。最初で最後の育ヴォルフだったけど、憲ちゃんアマデに目がいってしまってしょうがなかった。

和音さんのナンネールも涼風さんや香寿さんの男爵夫人も最高に素敵だった!!  

 

www.youtube.com

 


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映画「猫は抱くもの」

普段、映画の感想を書くことはないんだけどキャンペーン的なものをやっているので乗っかってみた。頂けるのであれば、かきざわさんのサインが欲しいです!(オブラートに包まない)

※2018/8/14追記:遅ればせながら、有難いことに柿澤さんのポストカードセットをいただきました!!サインを狙っていましたが、お気遣い(?)&当選ありがとうございました!!!

 

1回目見たときは、演出の面白さが印象に残った。雑誌のインタビューで撮影前に立ち稽古をしたと語っていたので「劇中劇でもやるのかな?」と想像していたら、「こういうことか!!」と。劇場を使った舞台のような演出で、倉庫の中の美術セットもタッチが可愛くて、ワクワクしながら見た。だけどちょっとストーリーに引っかかる部分があったんだけど、タイミングが合ったので2回目を観たら、ぐっと面白さが増した。

 

以下、ネタバレしています。

 

 

劇場を使ったセット。表舞台と上手サイドと下手サイドの客席部分に舞台を作り上げ、2階席を橋に見立てて、その下に猫たちがたむろする河原の舞台も作り上げていた。

どこの劇場なんだろうと気になってエンドクレジットを凝視したら、群馬会館という施設でした。

群馬県 - 群馬会館の利用案内・利用料金

メインプリンシパル以外は2役以上やっていたりと、まさに舞台のようだった。

 

映画ではこの劇場を使ったシーンと外ロケのシーンで構成されている。外界(外ロケシーン)にいるサオリ(エリカさま)は自分の意思に反していても「はい」と答えるだけで、他者の言葉をすべて飲み込んでしまう女性。必要以上に誰かと会話をすることがないし、感情を表に出すこともしない。それが舞台上にある倉庫の場面では、良男(猫:吉沢亮くん)には愚痴もこぼすし、物も申すしと自分の気持ちを表している。この劇場内の場面は、サオリの心中表現なのかな?彼女の心のテリトリーが劇場内にあるようで、スーパーの事務所やカラオケなど、外界と交わる場面もあるんだけど、外界にいるときよりもずっと気持ちを表しているように感じた。

 

特にそれを感じたのが、ゴッホ(峯田さん)のモデルになって絵をかいてもらう場面。サオリがアイドルに戻りたい気持ちと上手くいかない状況に悔しさと怒りとでぐっちゃぐちゃになって、ゴッホと口論→突然服を脱いで絵をかいてもらう。という初回見たときは「……!?!?なんで突然脱いだ????」とサオリのキャラクターと相いれない行動とゴッホがなぜかサオリの過去の状況を話し出して、「え???ストーカーなの???」って理解ができなくて消化不良だったんです(わたしだけ??)

それが2回目は「彼女の心のテリトリーは劇場内なのでは」という目線で見ていたのもあって、この場面はサオリの心中表現なんだと気づいて合点がいった。あの荒れ狂ったサオリは彼女の心の中で起こっていること。ゴッホの姿形をしているけど、サオリが自分自身に浴びせている言葉。突然裸になったのは、自分の心に纏わりついているものを全部取っ払って、「本当の自分」になっていることを表しているのではないかな。ゴッホがサオリの体に触れて形を確かめながらスケッチしているのも、サオリが自分が何を感じて何をしたいのかを1つずつ見つめなおしていることを表しているのではないか。良男が「あんなサオリは初めて見た」(※ニュアンス)と言っていたのは、本気で自分に向き合っているサオリを見たことがなかったということなのでは、と全てが繋がって見えるようになった。

ゴッホが絵を描いている場面のようで、サオリが自分自身を見つめなおしている場面。体の部分部分のスケッチを組み合わせて1つの絵にしていたはずなのに、サオリが目を覚ました後は別の1枚の絵になっていたのも、これが理由ではないのかな。心中表現と外で起きていることが混ざり合った世界。

 

サオリは最後に自分が好きな歌を歌うことを選ぶけど、多分彼女はそれを選ばなくても、それまでよりも1歩前に進めた人生になったはず。あんなに自分自身と向き合えた人だから。凄いなぁ。

 

最後のゴッホの姪っ子ちゃんの場面の解釈ができていないので、誰か感想教えてください(他力本願)。劇場内で起きたことはすべてサオリの想像(妄想)説も考えたのだけど、そうするとキイロの存在がわからなくなってしまうのでそれは違うはず…。

 

エリカさまのお芝居がとっても素敵だった。外界のサオリは発する言葉が少ないけど、表情やしぐさで何を感じているのかがすごく理解できた。TV収録場面で「歌手」ってフリップに書いた後の表情と仕草がほんと苦しくなるやつ…。吉沢くんは「羅生門」で拝見した時も美しい人だなぁと思っていたけど、本当に美しいね。エリカさまと並んでも美しさに引けを取らないって凄い。エリカさまにごろにゃんされる吉沢くんの破壊力はすさまじいものでした。コムアイさんのキイロとのやり取りがまぁ可愛いかった!!

そして柿澤さんですが、ナイスクズ高橋!(褒めてる) ササキは噴き出しそうになるのをこらえるのに必死でしたw

 

他の人がどのような解釈をしたのか、話し合いたくなる映画でした。

 

www.youtube.com

 


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「1789~バスティーユの恋人たち~」@帝国劇場 2018/4/14マチネ、4/22マチネ、5/5マチネ

再演を願ってた1789。2016年の初演1789でミュ沼に足を突っ込んだわたしにとって思い入れが深い作品。

 

・4/14マチネ:小池、夢咲、龍

・4/22マチネ:加藤、神田、凰稀

・5/5マチネ:加藤、夢咲、凰稀

 

本当はてぺさや回も取っていたのだけど、体調が悪くて手放してしまった。 

大きなところではロベスピエール役が古川くんから三浦くんへ、マリーアントワネットのWがお花さまから真咲さんへという変更はあったものの、ほぼほぼ初演と同じキャスト。

2年経ったのもあって、みなさん歌がうまくなっていたり、お芝居も良くなっていたりしていた。特に大ちゃん!!!もうほんとに歌がうまくなってて!!「デムーランの演説」とか「武器をとれ」とか、もうほんとに素敵だったよ~。なぜか大ちゃんは手放しで誉めてあげたくなる。母性が生まれる。

三浦ロベピは4月前半は歩き方というか体の動かし方が気になっていたんだけど(ロックスター?みたいな歩き方)、5月のときには気にならなくなってた。あと髪型も変わったよね?クルクル前髪だったけど、クルクルなくなってた。人形みたいなお顔の美しさなので、三部会の場面はビスクドールみたいだなぁと見つめてしまった。「誰が為に~」の「♪歪んだ~」とか最初の高音箇所が裏声で、古川ロベピの歌い方に耳が慣れていたわたしには最後まで違和感が残ってしまった…。あと演出面で初演と変わっていたのが、ロベピの彼女問題(言い方)。初演はサイラで突然の彼女登場に「お前誰だ」的なツッコミが観客の頭のなかで一斉に行われていたけど、再演ではなぜか伏線をちょこちょこ入れてきていた。要る…?要るのか…?そもそもサイラの演出をどうにかしてほしかったのもあるんだけど、要るのか…?そして再演サイラ終わりのキスが長くて、曲が終わってるのに続いてるのが居たたまれない気持ちになるし、変に間延びするので、あれは改善して欲しいなぁ(公演後半多少良くなったのかな?)。

ちなみにですが、1789は絶対1階S列下手サブセンに入ろうと思って狙って取ったんですが、やっぱり大ちゃんはいい匂いだった~~。あともう一人いい匂いの人がいらっしゃって、それは三浦ロベピでした。

 

真咲さんのマリーはギャルギャルキャピキャピしてて新しいマリーだった。「全てを賭けて」もキャッキャッしてる。まだ台詞回しにヅカの名残を感じたかな。続投の凰稀マリーはわたしが入った両回とも調子が良くなかったのか高音があんまり出てなくて、「悲しみの報い」もキーが低くなっていて残念だった(むしろ再演は毎回低いキーで歌ってるのかな?)。

 

サカケンさんのラマールは相変わらず最高でした。登場の場面で「お待たせ~~♥」ってひょっこり出てきた瞬間、「待ってたーーーー!!!!」と黄色い声を上げそうになった。場が場なら、ペンライト振り出したい気持ち。ラマールちゃんはみんなのアイドル。オランプちゃんに惚れてるラマールちゃんには愛しさしかないのに、三部会とかはイケメン歌うまおじさまになるとかギャップ最高かよ。ちなみにシークレットチャームは一発でラマールちゃんを引き当てました!よくやったわたし!!

 

てぺロナンの最後に跳ね橋の上でのにこやかな笑顔に涙溢れてくるし、和ロナンの少し寂しさを感じる微笑みにも涙が出てくる。 

はーー!かっこいい!!!

 

 

 

こっからはちょっとネガティブというか、わたし自身が感じたことなので刺さないでください。わたしが初演1789にのめり込んだのは、舞台上からのほとばしるような熱気と民衆1人1人が革命の主人公であるかのようなクランプや踏み鳴らす足音とダンスが合わさって、震えるような興奮を感じたからなんです。わたしが初演を初めて観に行ったのが4/29ソワレ。東京公演後半で勢いがついてきていた時だったのもあるんですが、舞台の熱量がもの凄く高くて、その熱に浮かされるような感覚があったんです。それを楽しみに再演を待ち構えていたけど、その熱量に出会うことができなかった。初演特有の盛り上がりだったのかもしれないし、わたし自身が1789以降舞台を観ることが多くなって閾値が高くなったのかもしれない。歌や芝居のレベルは確かに上がっていたし、感動したり涙を流したけれども、あの熱量を欲していたわたしには正直物足りなさが勝ってしまった。少し切なさを感じた再演でした。 

 


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