ただの備忘録

未来の自分に贈る、舞台の記憶と感想

「キンキーブーツ」@シアターオーブ(凱旋公演) 2016/09/02ソワレ

キンキーブーツ最高~!!!

もうね、観劇中ずっとニコニコしてた(わたしが)。双眼鏡覗きながら、ずっとニコニコしてた。もはやニヤニヤしてた。それくらい楽しかった。

 

何と言っても春馬ローラ

凄い。

登場した瞬間から圧倒的なオーラ。

歌とダンスがめっちゃ格好いい!!

エンジェルスたちとヒール+ミニスカで歌い踊るんだけど、もうね本当に圧巻。そりゃ客席も手拍子して、\ヒューーーー!/ \フーーーーー!!/って声出ちゃうわ!

ローラとエンジェルスたちのナイトクラブあったら毎週通っちゃう。おひねりあげちゃう。

春馬ローラがショーの合間に徹平チャーリーと話ながら衣装を着替えるときに下着姿に一瞬なるんだけど、その姿がまたセクシーでしてね!客席も\フーーーーー!/って声出してて、思うところは皆同じだなとニヤニヤしながら双眼鏡覗いてた。

 

キンキーブーツの曲はハーモニーを奏でるとか掛け合いをするっていうのがほとんどなくて、「今の!私の!気持ちは!こうなんです!」っていうソロナンバーが多くて。だからこそ個々の歌唱力で善し悪しが決まっちゃうところがあると思うんです。それを軽々と越えてきた春馬くん、相当凄い。しかもめっちゃ踊ってますからね!?

ローラをこんなに魅力的に演じた春馬くんに最大級の拍手を!

 

徹平チャーリーとソニンローレン。あ、マズリエ兄妹*1、お久しぶりです!(違う)。

ローレンがこんなに個性的な役柄だとはw真面目に働いてきた地味な女の子っていうのが最初の印象だったんだけど、チャーリーに恋した瞬間から自分の気持ちが抑えきれなくて行動に出ちゃうのが面白くて可愛くてwwすごく笑った~。しかし普段のソニンちゃんの声色とはだいぶ変えているのに、その状態で歌えるの凄い。

徹平チャーリーも歌いかたが変わってた。伸びやか~に歌うというより、アクセントをつけるような感じ?チャーリーの堅物な感じが出てるような。2幕のローラとチャーリーの仲違いの場面がすごく良かった。見ているこちら側も辛い場面なんだけど、お互いの胸中をさらけ出す場面に釘付けになった。ローラの才能に惚れ込んで自分の靴工場のデザイナーになってもらって、工場の従業員にローラを理解してもらおうとしていたのに、チャーリーが一番ローラの生き方を受け入れてなかったんだね。

ローラは「自分(ローラ)のことを受け入れろ」と言うのではなく、「ありのままの他人を受け入れる」ことを説く。懐が広すぎる。ローラのスナックがあったら毎週通っちゃう。

従業員からもそっぽを向かれて、どん底に落ちたところからのミラノのショーまでの高揚感たるや。

 

キンキーブーツのカテコはもはやコンサートのアンコールと化していた。客席総立ちで手拍子。めっちゃ楽しい。1階前列に入ってたら、うっかり「ローーーーラーーーー!」って声出しながら手を振ってたと思う←

振り付け覚えて一緒に踊りたい~!と思いながら1階席見たら、踊ってる人いたwですよねー!!

カテコ2回目(3回目?)には春馬くんと徹平くんが出てきたんだけど、春馬くんが来日版の宣伝をするときに「本当に、本当に、本当に」と「本当に」を連発しすぎてて笑ったw本人も「本当に」の言葉以外で話さなきゃと思ってたと思うのだけど、どうしても「本当に」が出てきて膝から崩れ落ちてたww可愛いな、おい!

 

久しぶりにハッピーで楽しいミュージカルを観れて、とても晴れやかな気持ちで劇場を出た!

キャストの皆様、お疲れ様でしたー!再演があったらまた観たいです!! 

 

www.kinkyboots.jp

↑舞台映像のダイジェストあるよ!春馬ローラの踊ってる姿観れるよ!!お時間あったらぜひ!!

*1:ミュージカル「1789」で兄妹役を演じてました

「エリザベート」2016@帝劇 感想その2 ~2人のルドルフ~

 その1からの続き。

ta-ma27.hatenablog.com

 

熱量がありすぎて、なかなかの長文になってしまった。書きたいことがありすぎて、まとまりないけどとりあえずupしてみる。後日、加筆修正するかも。

 

古川ルドルフ。自分が行ける日とお譲りがでる日程が上手く被らず、3回だけの観劇。6/30マチネ、7/10マチネ、7/24マチネ。帝劇公演が終わって振り返ると、丁度いいスパンで見られたなと。だって、見るたびにルドルフが違うんですよ?しかもどのルドルフも美味しくいただけるという。凄いなぁ。

※千秋楽に向けて演技を仕上げていくということではなく、役との向き合い方、演技プランを少しずつ変えてみるという意味合い。どの公演も素晴らしいルドルフでした。

 

 6/30マチネ:わたしの初エリザ。なんとなく話の流れは知っていたのだけど、2幕のルドルフの場面は摂取したい情報が多すぎて脳がスパークしてた。

 まず古川ルドルフが出てきた瞬間、「革命家がいる」と思った。1789のロベスピエールの残像がどこかにあるような(見ている私自身の古川くんに対するそういった印象が強かったのかもしれないけど)。眼差しの強さ、父親である皇帝フランツの政策に対する怒り、もっと国を良くしたいという若い意志。そこには「ママに会わせて」とゾフィーに懇願していたあの幼いルドルフはいなかった。

反乱を起こして敗れ、名を問われ「ルドルフ……ハプスブルクっ!」と答える姿には悲壮感はなく、まだ強い意志を感じた。そのあと、父親に蟄居を命じられるんだけど、去り行くフランツに向けて「父上っっっっ!!!」と怒りを全面に出してた。そして再び思う、「革命家がいる」と。ママ鏡でシシィに拒絶されたあとも、絶望というより、国の立て直しを放棄した母親への憤りを感じた。

城田トートとのマイヤーリンク。ほぼ同時だったんではないかな。お互い相手の頭の後ろに手を回して死の接吻。あんまりにも同時過ぎたから、城田トートは古川ルドルフの「友達」ではなく、「もう一人の自分」?とか思ったり。

7/10マチネ:花總シシィ、城田トート、古川ルドルフ。眼前にある世界が美しすぎた。革命家の雰囲気は前回見たときよりも薄れてたのもあって、「ママ」とシシィに呼び掛けるところも前よりしっくりきた。だけどやっぱり儚さはない。強い。国を立て直したい、そのために生きている若さがある。マイヤーリンクではトートダンサーたちに持ち上げられて舞うんだけど、大我ルドルフと比べて重量を感じるんだよなぁ(単純に体重の問題ということだけではなく)。まだ《死》の淵にいないというか。まだ自らの力で舞っているというか。トートから銃を受け取ったとき自ら死を選んだという意志を感じた。この回のマイヤーリンクで初めてエリザで涙を流したんだよなぁ。自分でも驚いた。何の感情が沸いたのか自分でもよくわからない。

ちなみに(初見のときは出てるって知らなかったから)エーヤンとミルクで初めてお姿確認。エーヤン、ものすごい顔出てるね?旗の前にがっつり顔出てるよ?むしろ積極的に出しにいってるよね?どうもありがとうございます!ミルクは平民の格好してるんだけど、隠しきれないスタイルの良さ。足長すぎ。

7/24マチネ:儚い…!噂には聞いてたんだけど、古川ルドルフが儚くなってた…!(震) 相変わらず強さは持ち合わせてるんです。だけどママ鏡でシシィの腰に抱きついたあと拒絶されて手をほどかれた、その手が空を抱き締めたままだった。「ママも見捨てるんだね…」のセリフも、立ち上がってから言うのではなく、拒絶されて呆然として座り込んだまま「ママも…」→ふらふらと立ち上がって「見捨てるんだね…」。

え……?古川ルドルフが儚い…?儚いよ…!!

ルドルフに儚さがあると、そのあとの葬儀の場面でシシィのエゴイストな側面が強調されて、「悲劇」のなかにシニカルな(まさにルキーニが劇中で言っているような)印象が残るような。あとちなみにこの回が初めて井上トート×古川ルドルフだったのだけど、闇広の終わりにガシッと抱き合ってて、双眼鏡を握る力が入りすぎて拍手するまでに3テンポぐらい遅れてしまった。他の組み合わせはそんなこと…!してなかったから…!(だいたいトートがルドルフの後ろから腕を沿わせるみたいな感じだった) 古川ルドルフにとって井上トートは「幼い頃に知り合った友達」であり「同志」なのかな。

 

大我ルドルフ。初めて見たのが6/30ソワレだったのだけど、衝撃を受けた。存在が儚い…!!そして歌もお芝居を上手いね…!?(儚さについては当日マチネで儚くない古川ルドルフを見たから余計そう思えたのかも) 大我ルドルフ、かなりの回数観劇できたのでまとめての感想。

ガラスのような透明感、脆さ。青年となって、父親に対して自分の政治的な考えを主張するときなどは力強い目をしているのだけど、ふと不安そうな表情が顔を覆うとき、そこにはママの帰りをずっと待っていた少年ルドルフが重なって見えた。古川ルドルフは強い、何を言っても揺るがない強さを持っている。だけど大我ルドルフは「本当にこれで良いのだろうか……?」という心の揺らぎが見え隠れしている。革命家たちに持ち上げられて反乱を起こしたときでさえも、周りが戦っているなか一人だけ一瞬立ち止まって苦悶の表情を浮かべていた。

7/24マチネは冒頭の昆布のところ(←言い方)、光が当たらないところで革命家のエルマーとじっと見つめあってた。エルマーが何かを伝えたそうに手を差し伸べたのだけど、ふっと視線を外したルドルフ。反乱を起こすも鎮圧され軍に取り押さえれて名を問われたとき、エルマーが「名乗ってはならない…!」と言いたげな表情で首を振っていた。エルマー役の角川さんは雑誌のインタビューで、エルマーは決してルドルフを利用していたのではなく、同志として革命を起こそうとした、と仰っていた(注:ニュアンスなので悪しからず)。舞台上ではそこまでの描写はないけどエルマーは監獄のなかでルドルフの自死を知ったであろうと思うと、冒頭のエルマーがルドルフに手を伸ばして苦しげな表情をしていたのは、ルドルフを巻き込んだことへの懺悔なのか、若い命を自ら終わらせた彼へのやりきれない思いなのか。そしてそんなエルマーに対して目を逸らせるルドルフ。お互いの胸中を思うと苦しくなる。

名を名乗るところも古川ルドルフと違って、悲愴感に溢れていた。もう終わりだ、国を建て直すことも皇太子としての身分もすべて失ってしまった、と。フランツに蟄居を命じられたときも、「父上……」と手で口を覆い、膝から崩れ落ちるルドルフ。そこに怒りは微塵もなく、ただただ絶望にうちひしがれていた。その後のママ鏡でも、シシィに拒絶されてただひとつの頼みの綱も失った絶望感に満ち溢れていた。そんな彼に「死にたいのか?」と囁くトート。マイヤーリンクの大我ルドルフはもう死の淵にいるようで、重力を感じない。ふわっと舞い上がって、そのまま消えてしまうのではないかと思う。儚い。とても儚い。トートが銃をルドルフにかざしたとき、はっと自分を取り戻して、銃を受け取ろうとする右手を必死に左手で抑える。だけど銃を受け取り、銃を見つめながらニヤッと笑い、トートの顎に手をかけ、死の接吻。その後のすっと表情を失い引き金を引く。この一連の流れが美しいんだよなぁ。

死の接吻で書き残しておきたいのが、7/5ソワレと7/マチネの城田トート×大我ルドルフ回。他の組み合わせより口づけしてる時間が明らかに長かったですよ?大我ルドルフが顎クイしてからの接吻なのだけど、そのあと城田トートがルドルフの頭に手を添えて、魂吸いとってるみたいに長かったよ?美しいね?あと7/18ソワレで気づいたのだけど、大我ルドルフは目を開けたまま接吻してるんですね。口を離した瞬間に目に宿っていた感情が消えていく様もまたゾクッとした。

7/24マチネの「闇が広がる」では井上トートに「王座にー座るんだー !」とけしかけられたとき、ニヤっと笑ったんですよね。そのあとすぐに目に力を宿して「王座ー!!!」と高らかに歌っていた。痺れる。この場面と「我慢できなーいー!」と歌うところ、好き。めっちゃ好き。(急に語彙力失う)

 

東宝演劇部が空前絶後のご熱狂に答えて、ありがたいことに2016年のエリザベートがDVD として発売決定しています。が、J事務所といろいろあるのか大我ルドルフは残りません。本当に残念(劇場アンケートには熱望を書き続けるけどね)。もし再演することがあっても、大我さんの力強さがありながらもガラスのような透明感と儚さがある、この絶妙なルドルフはきっと「今」しか観れない。決して再び観ることはできないと思うと、もっと観なければという思いに駆られる。それは古川ルドルフも同じで、こんな強いルドルフは後にも先にも観れないと思うし、彼が最終的にどんなルドルフに昇華させるのか楽しみでならない。だからわたしは全力でエリザを楽しむのだ。

「エリザベート」2016@帝劇 感想その1

エリザベート」で染まっていた1か月が終わった。

初日の幕が上がる前、手元にあったのは自力で取った1公演+譲っていただいた2公演分しかチケットがなかったのです。が、6/30ソワレを終えた瞬間から次のチケットを探しては入り、探しては入りを繰り返して気が付けば結構な数入ってました。自分が怖い。

入った公演を羅列するけど、刺されないか不安。書くけど。

・6/30マチネ:蘭乃・城田・田代・古川・涼風・山崎

・6/30ソワレ:花總・井上・佐藤・京本・涼風・成河

・7/2マチネ:蘭乃・井上・佐藤・京本・涼風・山崎

・7/5ソワレ:蘭乃・城田・田代・京本・香寿・山崎

・7/9 マチネ:蘭乃・城田・田代・京本・香寿・成河

・7/10マチネ:花總・城田・佐藤・古川・涼風・山崎

・7/16ソワレ:蘭乃・城田・佐藤・京本・涼風・山崎

・7/18ソワレ:蘭乃・井上・佐藤・京本・涼風・成河

・7/21ソワレ:蘭乃・井上・佐藤・古川・涼風・成河

・7/24マチネ:蘭乃・井上・佐藤・京本・涼風・成河

 圧倒的な蘭乃シシィと京本ルドルフ率!!!

帝劇に通いながら、「私、大我担だっけ…?」と自分の担当を確認したくなった。これは決して意図的にとったわけではなく、節操なくお譲りにむしゃぶりついた結果。(つまり花總シシィでお譲りはほとんど出ない)

トートと ルキーニは綺麗に半々になってたんだなぁ。

 

以下、my大千秋楽の感想をメインに徒然なるままに。

7/24マチネはキャスト各々が千秋楽が近いこともあってか、今日の公演は今まで入った中でも素晴らしかった…!!

 

蘭乃さんは冒頭の少女時代の歌でその日の調子がわかるのだけど、声量もあってひっくり返らなかった。イケル。このまま頼む。(7/24マチネの私の心境)

蘭乃シシィは色々と厳しい意見もあるけど(花總シシィが圧倒的すぎるというのもある)、私は蘭乃シシィ好きです。歌唱の技術はもっと頑張ってほしいということろが本音だけど、自我の強さ、エゴイスト、ハプスブルク家を破滅へと導く「エリザベート」を体現してると思う。

表情がすごく豊かで、少女時代のシシィはやたら可愛い。

バートイシュルで「鹿さん、鹿さん…!」って追いかけるところとか、帽子で扇いで暑いわ~としてるところとか、ヘレネお姉さんがフランツと結ばれると思って小さく手をパチパチ叩いてるところとか、15歳の少女そのもの。

無邪気で天真爛漫。フランツが魅かれるのもわかる。可愛いもんね。

「皇后の務め」で涼風ゾフィーとバトルところもよかった。

「お母さまがいじめるのー」の「のー」の部分を幕が開いた当初は地声から裏声に切り替えて声量がいきなりガクッと落ちるし不安定さが出て、改善してほしいところだったんだけど、続けて地声で出るようになった。

蘭乃シシィの「私だけに」はまさに「私を縛り付ける?もしそんなんしたら飛び出してやるわ!!」という意志の強さ(裏返せばしきたりに従わず、自分がしたいようにするんや!っていうエゴ)を感じる。ものすごく感じる。だからか、そのあとにルキーニが歌う「シシィはエゴイスト」っていうのもすんなり納得できる。7/24マチネの「私だけに」は今まで聞いた中で一番良かったなぁ。「私が踊るとき」の一か所だけ音が外れてしまったのがもったいなかった…!あそこがなければ…!!

あと蘭乃シシィで好きなのが、ラストの場面。直前まで低くて疲れ切った声でぼそっと侍従に話しかけるんだけど、ルキーニに殺された後、トートが迎えに来て「連れて行って~」と歌いだすんです。その時の声が少女時代のような高くて若くて生き生きとした声。あぁ、シシィが生きてるときに一番自由だった少女時代に戻ってこれたんだ。自由になれたんだ。そう感じた。

その後の「泣いた 笑った くじけ求めた」の歌い方もすごく好きなんだなぁ。自由になれた喜びにあふれてて。「シシィ、よかったね…」と素直に思える。

8回も蘭乃シシィの回に入ると愛着がわいてきて、いきなり感想が長くなってしまった。

 

花總シシィ。2回観劇することができました!ありがたや。日本エリザベート協会理事のレジェンド(©成河さん)は圧巻でした。。。6/30ソワレを観劇しなければおそらくこれほどまでにチケットを探すお化けにならなかった。それくらいの完成度。

蘭乃シシィは自分から殻に閉じこもった結果、孤独になったけど、花總シシィは周りに理解されず孤独になっていった印象。自発的かそうでないか。蘭乃シシィは自発的に孤立していったから、エゴイストという側面が強調されてた。対して花總シシィは孤高の皇后、信じるものは自分だけ。その姿が神々しすぎてですね…。

感想が蘭乃シシィと比べて短いけど、もうね、神々しすぎると、「すごいもの見せていただいた…!」とただただ畏れ多くなるんですよ。語彙力来い。

 

私が入ったほとんどが涼風ゾフィーだったのだけど、毎回その美しさと厳しさと冷徹さに痺れっぱなしでした。

自分の息子の命乞いをする母親に対して「結構ね」と突き放すんだけど、その歌い方が本当にかっこいい…!ゾフィー様についていきます!ってなる。それぐらいの説得力。いっそ、ゾフィー様の女官になりたい。端っこのほうに紛れ込んで「ごもっとも!」ってほかの女官たちと合いの手入れたい。「宮廷でただ一人の男」と呼ばれていたカリスマ性をびしびし感じる。わたし"がなり"を上手に使える人を軽率に好きになるんだけど、涼風さんもお上手で初回からメロメロです。(1789の岡さんとかも該当する)

それなのに結婚式でマックス公爵と一緒に踊るとき、手も触れたくないわって感じでイヤイヤ踊ってたり、バートイシュルでは計算どおりにいかないってくるくる踊ってたり、可愛かった~。

ゾフィーが魅せる最大の場面、「ゾフィーの死」。「皇后の務めは自分の心殺してすべて王家に捧げること」と嫁いできた翌朝にシシィに言い渡し、母親に会いたいと懇願する 少年ルドルフに「皇帝には母も子も 妻もないのです」と一蹴する。自分の孫にあえて「妻」という言葉を使うゾフィー

晩年、いろいろあって自分の息子から「もうあなたの意見に従うことはない」と通告されて、「心殺して育てたわ 皇帝陛下と呼ばれるまで 優しさより 厳しさを」と、それまで見せなかった母親としての息子への愛をうたうゾフィー。フランツとシシィのように愛し合った夫婦(←最初だけだったけど)ではなく、妻・母親としてではなく、「皇后」としての務めを立派に突き通した人生。

涼風ゾフィーが目を潤ませて少し声を震わせながら歌うのですが、母親の愛と切なさが胸に迫ってくる。最期の最期、ふっと微笑むんですよね。皇后、そして皇太后の務めから自由になれることへの喜びなのかな…?それとも自分の息子は「妻」としてエリザベートを愛していることへの安堵感なのか。。7/24のマチネは一段と素晴らしかった。

 

成河ルキーニ。常に不穏な空気感を纏っていて、トートへの狂信的な愛が時にこちらをも不安にさせる。

育三郎ルキーニはチャラいイタリアーノという印象(褒めてる)なんだけど、最後エリザベートを殺すまでの心境が突然すぎてなぜだろう?と思ってたんです。

だけど成河ルキーニは「こいつならしかねない」と納得させる雰囲気を常に醸し出してる。公演期間中盤から成河さんに注目するようになったのだけど、「皇帝の義務」や「皇后の務め」などのときにふっと成河ルキーニを見ると、爪を噛んでじっとゾフィーを見つめてるんですよね。思わず背筋が冷たくなるほどに。なぜエリザベート皇后を殺したのか?の問いに対して「偉そうな奴なら誰でもよかった」。あぁ、そうか。だから権力を持っている人(=ゾフィー)をじっと見つめていたのか。ストンと自分の中で納得できた。(ちなみに権力を失った晩年のゾフィーにはそういう視線は全く送ってなかった)

そして何よりもトート閣下への愛。愛というにはちょっと違うかもだけど、心酔しきってるその姿もまたこちらをざわざわと不安にさせる。ルキーニが首吊りしたところから幕が開いて、首吊りしたところで幕が下りるんだけど、ルキーニはこの輪廻から逃れることができないのではないかな。100年間毎日毎日同じ質問を裁判官からされ、それを説明するために亡霊を呼び起こす。成河ルキーニはトート閣下に会いたいがために、毎日毎日エリザベートの人生を呼び起こす。そんなことをふと思ってしまった。

 

城田トートは「死」そのもの。気が付いたら自分の後ろに立っている。傍にいる。そして「こっちへおいで」と耳元で囁く。

まさに「死」だ。と思わせる。

ビジュアルも本当に2次元じゃないかな?これ現実?って思う。美。初エリザだった6/30マチネの歌声が冥界からの声(エコーがかかってるんじゃない?っていう声)みたいでより一層2次元感が強かった。でも2回目の7/5ソワレはそこまで強調されてなくて、ウィスパーで歌うところが増えててギリギリしてた(わたしが)。

カフェの場面とか、人間の世界に降臨するとき首とかゴキゴキしてて、黄泉の帝王⇒人間になる切り替えがあって、「閣下、人間は窮屈ですか…!」と一人盛り上がってた(わたしが)。

城田トートは手の使い方も美しかったなぁ。シシィとか子ルドとかルドルフとか、愛しいものに対する触れ方が耽美。

 

井上トート。正直に告白すると、私がこんなにエリザにはまったのは井上トート+古川・大我ルドルフだと言って過言ではない。劇場を響き渡らせるその圧倒的な歌声、自分の体の中が歌で満たされるこの感覚。もうね、最高ですよ。

井上トートの少し強引で、皇帝への嫉妬を隠さないところにどうしても魅かれてしまう…。「最後のダンス」で少し乱暴にシシィと踊る井上トートが最高に好きなんです。もっと激しく…!!もっと高圧的に…!!って興奮してる(わたしが)。

幕が開いた当初は井上トートも指の使い方をすごく意識しているふうに感じた。子ルドから銃を抜き取る場面や、最後通告の場面でシシィが座ってる椅子の後ろから現れるとき、1本1本の指をねっとりと這わせるようにしていて、これまた耽美。

でも帝劇期間の中盤以降は 始まった時よりも普通に銃を抜き取っていたり、シシィの椅子の後ろから現れるときも横からすっと現れて、物足りなさを感じてしまった。もっとねっとりいこうよ!

ただ、ルドルフの葬儀のあとに棺の中から現れるときの指のねっとり感は(わたしが観劇した限りでは)最後まで健在でした!ありがたや!!

 

ここまで思いついたままに書いてるけど、私が最も心惹かれているルドルフについて書かなければ。と思ったけど、ここまでの感想が思いのほか長くなったので別記事にしようっと。

 

少し加筆修正。