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ただの備忘録

現場を振り返ることを枷にして記憶の定着を図る。つまりただの備忘録。

「ロミオ&ジュリエット」2017~憎しみと死について

2017年ロミジュリ、今回の舞台の全体的な感想をまとめておく。主には憎しみと死について。

 

新演出版ということで小池先生(以下、イケコ)が「失われた世界」というワードを制作発表で仰っていて、わたしの周囲はとてもざわつきましたが、「失われた世界」は「"自由に愛する権利が"失われた世界」なのか「"人々が愛し合って生きることが"失われた世界」なのか、単に「戦争で全てを失った世界」なのか。色々考えられるけど、これらをひっくるめてイケコのフィルターにかけたら「失われた世界」という言葉になったのかな。

 

わたしはティボルトもベンヴォーリオもマーキューシオも、ずっと「憎しみ」を憎んで生きていたと思っていて。小さい頃から「相手の家への憎しみ」を教えてこられて、「そういうものだ、そうしなければならない」という刷り込みと環境の中で育ってきた。ティボルトは「本当の俺じゃない」「こうしたのは大人たち」と切々と歌っているように、この憎しみから抜け出したいと思っているけどできない。

マーキューシオは小野さんの回を観劇することが多かったので、その目線になってしまうのですが、決闘の場面でロミオやベンヴォーリオに戦いはやめるんだと説得されているとき、すごく悔しそうな苦しそうな表情をしていて、「こうすることしかできない自分」へのやり場のない思いを感じた。そしてロミオがティボルトを刺した後、ベンヴォーリオの「俺たちは被害者だ」。この「俺"たち"」って複数形になっているのは憎しみを説き続けた大人たちへの怒りをずっと感じていたヴェローナの若者たちの叫びを代弁しているようで。「お前らがそういうふうに教えてきたんだろうが!」っていう。馬場くんも矢崎くんも、マーキューシオを抱きかかえて悲しみのどん底にいるのに、親たちが「代償」を訴えて始めるとふつふつと怒りが湧いてきているからみんな観て…。

 

それでもマーキューシオはティボルトを殺そうとし、ティボルトはマーキューシオを殺し、ロミオでさえもティボルトを殺した。そうそう、キャピュレット夫人も「憎むのはやめて」と言っていたのに、ティボルトが殺された時は「でなきゃ私が復讐する!」って言っちゃっているしね。

憎しみを憎んでいるのに、自分の中の憎しみを制御することができない彼ら。

 

そんな憎しみに満ち溢れたヴェローナには「死」が空気のように溶け込んでいる。争いの場面では必ず死の色が濃くなっていて。存在感の濃淡を表現できる大貫さん凄い。

 

結婚式の場面、死がセットの上の方にいて影を作っているのは知っていたのだけど、どうしても主役二人に目がいってしまっていて何をしているかはあんまり見えていなかったんです。死が作る影は最初ロミオだけにしかかかっていないんですね。ロミオの影は死の影。そしてロミオとジュリエットが結婚の誓いを立てたとき、死が二人の影になっていた。二人の未来を暗示するかのように。

  

そして霊廟の場面では、十字架の後ろの幕にピンスポの照明が当たって死の影ができるんだけど、死が作っている影なのにロミオの影に見えて。そしてロミオの死に気づいてジュリエットが後を追おうとするとき、また照明が当たって影ができるんだけど、それはジュリエットの影に見えて震えた。しかもその影は結婚式の時よりもずっと色濃い影。死がすぐ近くまで迫っている人間の影だった。

 

ロミオとジュリエットが命を落とし、両家の人間が霊廟に入ってきたとき、死は悦に入っているようで。十字架のキリストの顔を隠したりと神を崇める人間を嘲笑っているかのようだった。両家の父親が二人の遺体を引き離そうとするところとか、十字架からじっとりと人間を見下ろしていて、いつ争いが起きてもいいように(いつ人が死んでもいいように)待ち構えていた。だけど両家が和解をしたとき、ガクッガクッと体の自由がきかなくなり始めて、最後の「エメ」で"死"が死んだ。ずっと影のように死がまとわりついていたヴェローナから死が葬られた。

 

二人の死は悲劇だけど、ヴェローナを死から救い出した二人の愛の物語と受け取ることができるから感動して終えることができるんだろうなぁ。観劇の最初のほうは二人の死のあたりから泣いていたんだけど、中盤から両家の母親たちが「二人は愛し合っていたのよ…!!」と止めるとこから涙腺が危うくなり、ベンヴォーリオと乳母が二人の手をつなぎ合わせるところで泣いて、最後の「エメ」でボロボロ泣いている。伝聞情報なので真偽の程はわからないのですが、前回のロミジュリは二人は手を繋ぎあったままだったとか?とすると、やっぱりイケコはヴェローナの人々が二人の愛で和解するということを強調したかったのかなと思ってしまう。そしてそれは現実の世界ではとても難しいということも。

 

人類は今も「愛が全てを解決する物語」を希んで止まない。何故なら、それは「なかなか実現しない物語」だからである。

 

これはパンフレットに掲載されていたイケコのコメント。そのほかにもいろいろ語っています。(あ、パンフレットはビジュアルブックと一緒にご購入することをお勧めします。ちょうお勧め。美。1ページ目開いたとたん、あまりの美しさに1回本を閉じちゃうから。)

 

ロミオとジュリエットの愛でヴェローナから死が消えて平和を得られたけど、残された人々は罪を背負い続けるんだろうな。

ベンヴォーリオはロミオがティボルトを刺すことを止められなかったこと(マントヴァへジュリエットの死を伝えたことは後々ロレンス神父と話した後、死ぬほど苦しみそうだけど、これは純粋にロミオを想ったことなので当てはまらないかなと思っている)。乳母は両親と言い争いをした後、ジュリエットの様子がおかしかったのを見抜けなかったこと。ロレンス神父はジュリエットに薬を与えたこと、ロミオにきちんと伝えなかったこと。両家の母親は争いはやめてと言っていたけど、結局は夫の言うとおりにしかできなかったこと。両家の父親は争いをやめなかったこと。彼らは「罪人」。最後の「エメ」で「死」が死んだと上述しましたが、その「死」の死に様がまさに十字架にはりつけられたキリストと同じで。二人の愛は彼らの罪をすべて背負って犠牲になったということを示しているのかな…。真っ赤な十字架。

戦争の映像を流して「死」の舞から始まり、真っ赤な十字架に磔になった「死」で終わるのは、イケコはこれを訴えたかったのかなと思っている(以下パンフより抜粋)。「失われた世界」では憎しみの連鎖を止めることができたけど、現実の世界ではどうですか?っていうことを。

 

勢力と勢力が争いを止めるには、どれほどの死が必要なのだろう? 

  

 

最後にちょっと話が変わりますが、「ロミオの嘆き」の振り付けについて。ネットを徘徊していたら「RJの振り付けで、バレエでは二人が愛を確かめ合うこの振り付けがあの場面で」というような内容のものを見つけたので、ちょっと自分でも調べてみた。

バレエの動画を探してみた。

www.youtube.com

Royal Opera Houseの公式動画なのですが、Balcony pas de deux、バルコニーの場面で2人が幸せに溢れているところ。動画の3:08~3:09あたりをご覧いただくと、見えますでしょうか。薬売りの場面そのもの…。小㞍さんんんん…!!!!!ってなったよね(←振付師の方)。バレエでは愛の喜びの振り付けを、このミュージカルではロミオが死(薬売り)から毒をもらう振り付け…く、苦しい…うぅぅぅ。

そうすると同じく「ロミオの嘆き」で死の肩に腕を回してロミオがふわっと飛ぶ振り付けとか、「愛の翼」でジュリエットに会いに行こうとしているのかな…とか想像が膨らみますね…えぐられる…。意味のない振り付けなどないとは聞きますが、凄いなぁ…。そしてこういう教養があると世界がもっと広がるし、深みが増すんだよなぁ~。知識と教養、身に付けていきたい…(願望。

 

いろいろ書き連ねましたが、あくまでも個人的な見解なので悪しからず。

とりあえず声を大にして言いたいのは、ロミジュリ面白いからみんな観に来なよ!っていうことです。

東京公演も残りわずか、無事最後まで完走できますように!