ただの備忘録

未来の自分に贈る、舞台の記憶と感想

「シティ・オブ・エンジェルズ」@新国立劇場中劇場 2018/9/8ソワレ、9/9、9/12マチネ、9/17

東京公演お疲れ様でした。ひたすら柿澤さんと木南ちゃん(ときどき山田くん)を観る演目でした。そして「どうやったらもっと良くなったのか、何がいけないのか」と考えながら観るようになってた。チケ代11500円。いつもなら13500円でも「お値段以上!」とホクホクしながら劇場出るのに、「柿澤さんと木南ちゃんいなかったら、金返せレベルじゃんこれ…」となるやつ。そんなわたしがなんでこんなに数を観たかというと、単純に手元にやってきたチケットの座席が良かったからハハッ 後方席だったらすぐ手放してたぞ♥

わたしのこの気持ちを成仏させるための感想。アンケートは最後までおいてくれませんでしたね!(恨み節)

 

 

この公演の感想をググると、わたしの感想が上のほうにきてしまっていてビビった。みんなも感想書いて良いんだよ(もちろん良かったという感想も)。

 ↓前回の感想

ta-ma27.hatenablog.com

 

邪道ミュージカル(※東京楽での出演者コメント)もいいとは思うけど、作品へのリスペクトは必要だと思うんです。あまりにも憤慨したので、海外版のスクリプトをネットで見つけて読んだよ。斜め読みだから正確ではないし、わたしが読んだスクリプトがBWのものかWEのものかもわからないし、もしかしたら誰かが書き起こしたもの(!)かもしれないので悪しからず。それとわたしが読んだものが日本版の元になった版かどうかはわからないので、制作の人が読まれたら何を言ってるんだという可能性もなきにしもあらずです。が、書かずにはいられない。

 

 

  • 脚本について

驚くことなかれ、本筋はけっこう忠実にやっていました。マンドリルがスピリチュアルセラピストって書いてあって頭抱えた。いや、これ福田さんの脚色だと思うじゃん。

ちなみに個人的に福田さん脚色だと思っていたけど、オリジナル通りだったところの抜粋

・Stone:"Slip the pencil under, too."

・Big six:"Hope this don't disturb the neighbors."

・Stone:"Nature's funny."

・Peter:"I'm afraid I'm a bit messy."

・Stone:"I don't remember you and me getting married."

・Mallory:"Sort of mixed double."(※Stoneの台詞ではない!)

・Carla:"There's tons of food out there, Avril." "And now it's time to be hungry, dear.

 

読みながら「まじか…」と項垂れた。確かにこの作品はコメディに分類されているんですよね。初演が1989年で約30年前の作品。笑いのポイントもずれているからかなぁとも考えたけど、2014-2015年にあったWE公演でOlivier賞(Best musical revivalとBest Lighting Designは最優秀賞)を受賞しているってことはそういうことじゃないんですよ。あくまでも想像だけど、笑いの雰囲気としては「フルハウス」みたいな感じなのかなぁと思った(パッと思い付いたのがこれだったけど、年代がばれるw)。シチュエーションコメディというか、ドラマの流れのなかで少しずれた台詞や皮肉った台詞を言う。演出がしっかりしていればそれだけでクスクス笑えると思うんだけどなぁ。先述した「Nature's funny」のくだりのところとか普通に笑いたかったのに、バラエティ番組みたいに笑いを強要される演出のせいで笑えなくなってしまって、後半の観劇は感情が無になっていた。「笑わせよう」としているところが逆に押し付けがましく感じたし、何よりテンポが悪くなって本筋の流れを止めていた。

勝矢さんと二朗さんのターンはあまりにも遊ばせ過ぎてた。この作品を「面白かった」と述べている9割ぐらいの方は、この"福田成分"を面白がっているように思えたのだけどどうなんだろう?作品としての面白味は感じられましたか?この伏線がここで回収されてる、この登場人物はここの場面でこういう表情しているから、こういうことなんじゃないか、こういう話って現代でもこういうことに繋がってるよね、とかそういう作品としての面白味はありましたか?(←これは考察好きの考えかも?)

個人の好き嫌いの範疇になってくるとは思うのですが、わたしは福田さんの"遊び"が本筋とは関係ないところで展開されていて面白くなかったです。観ながら「この時間、いったいなんなんだろう」とすら思ってました。高いお金を払ってこんな思いをするなんて。福田さんの考える「笑い」ってこういうことなの?(今更ですが、個人的に福田さんの映像作品は楽しく見る方です)

そんななか瀬奈さんの役回りはかなり原作に則った笑いの取り方をしていたのではと思う。" it's time to be hungry"の箇所の言い方とか!まぁ完全にグリブラコントの再現だったけど←

 

恨み節が出てしまいましたが、まだ続きます。

海外版スクリプトを読んで気になったところとか諸々

 

①マロリーがなぜ企てたのかという理由。わたしの聞き間違いでなければ「ムニョスが写真を撮ったから」と言っていた。観劇中も「ムニョスが…?」と疑問に感じていてのですが、スクリプトには「Manuelo took some pictures」と。……Manueloって誰やねん!!

って福田さんも思ったんでしょうか。ムニョスがストーンの部屋でマロリーの写真を見て「それにお金が絡んでる」(言い回しはニュアンス)っていう台詞に意味をつけたかったのか?当初、スタインが書いていたムニョスの設定ではストーンのような白人が優遇されていることから憎んでいたけど、ムニョス自身も悪事に手を染めていたら背景がだいぶ変わってきません…?「白人は殺人を犯しても見逃されるけど、白人以外は恐喝でさえ許されない」ってことを示してるの?でもそうだとするとムニョスは早々に警察官辞めさせられてるよね?んん?

 

②ムーニー。これは完全に福田さんの改悪ではなかろうか。わたしも読んでいて驚いたんですけど、ムニョスがウーリーに電話を掛けている場面があるんですよ。

"Oolie? What do you say, sweetheart? ……Right. It's Manny Munoz……."

読んだ感じだとムニョスからウーリーへの一方的な好意なのかな。でもこの場面があれば、ストーンがなぜ「マニー」と呼んだのかが推測できるじゃないですか。ウーリーがムニョスの電話をストーンに愚痴っていたから、ストーンも「マニー」の愛称を知っていた→俺達仲間だったじゃないか、という親愛の意味を込めてマニーと呼ぶ、とかいくらでも。それがマニー→ムーニー→赤ちゃんと思ってるのか→俺がデブだからか→ダイエットする!→ライザップっていう流れよ…文章にするとなんとも悲しくなってくる。

 

③ラストの場面で、「カット!」と叫ぶのは誰か。これも驚いたんですけど、「カット!」と叫ぶのはストーンではなくてスタインでした。これ、だいぶ意味合い変わってくるよ?そもそもストーンはスタインが書いた主人公で、頭の中の人物なわけでストーンが何をしゃべろうが周りの人物には聞こえないはずなんです。だから、スタインとストーンが2人でひとつということを表しているのかなと考えていた(ストーンが感じたことはスタインも同じように感じている)。スタインに「カット」と叫ばせると、自分の意思で止めたという印象が強くなるからかな?ここは福田さんの解釈でもいいように思えた(ようやくAgreed)。

 

④セクハラ、me too問題。これが一番許せなかった。福田さんはこの問題をどう考えているのか問いただしたい。悲しいことに確かにスクリプトにもあるんですよ。

Anna:"See you tomorrow, Mr.Fidller"

(She exists with gurney, Buddy giving her bottom a farewell pat.)

福田さんはマッサージ師をアジア系(って出ている人みんなアジア系だけど)で、片言で話す設定にしていたんですが、その女性が「チェクハラハラチュメント!」と訴える→二朗さん演じるバディが「おいおい、お前何て言ったんだ」(言い回しはニュアンス)と突っ込むんですね。びっくりしたんですが、このやり取りに笑いが起きていたんですよ。演出する側も笑いを取りにいって、それに笑いで応える客。ドン引きした。そのバディの行為に対してスタインが「そんなことやってたら、いつか訴えられますよ。一人がやり始めたらみんなme too、me too言い出すんですよ」と続いてたんだけど、そこでも笑いが起きていて虚しくなった。笑えるの…?みんな面白いの…?スタッフも制作も誰も何も思わなかったの??わたしは嫌悪感しかなかった。この件に関して、福田さんや制作の見解を聞きたい。

 

⑤ラストはスタインが自分の最初の脚本を取り戻してハッピーエンド!という終わり方。これは福田さんが散々笑いを取りに行った結果なんですが、スタインの元の脚本って、シャー芯2Bとかのくだりがあるんですよ(バディが「この2Bと2Hのくだりいるか?」って言っているので、バディの案ではない)。そういうのがあると、スタインが自分の最初の脚本を取り戻しても晴れやかな高揚感が生まれないというか、「あのくだりがあるけど大丈夫…?」っていう思いがぬぐえない。

 

⑥東京後半で、ラストの撮影する場面でバディの台詞が追加されていた。スタインとのやり取りで「映画は俺のものだ」みたいな台詞。確かにバディは人間としてくそ野郎だけど、仕事はちゃんとしているんですよね。「デブだから~🎵」の一連の流れは福田さんの改編だけど、バディ自身はこれを使えとは言っていなくて、「磨け、輝かせろ」とスタインに言っている(結果、スタインはそのまま使った)。それだとバディの仕事ぶりを非難するには弱いと判断したのかな?追加しても別に構いはしない内容だったけど、個人的にはもっと直す箇所あるでしょ?という気持ち。

 

 

海外版スクリプトを読んで感じたのが、この本は「Cover」がキーになっているのではないかということ。スタインは脚本の表紙と映画に自分の名前が載ることに執着して、また女性のことは表面のことしか見ておらず、彼女たちがどういう気持ちなのか知ろうともしない(これは「What you don't know about women」の歌詞にもある)。それが「もう一人の自分」であり「自分のヒーロー」でもあるストーンによって、あらゆる「Cover」の執着から脱することができた。だからラストはギャビーも登場してハッピーエンド!ということなのかと。なお、日本版は無駄な場面が多くて、ここまでのことは考えもできなかったし、感じることもできなかったことを付け加えておきます。

 

 

脚本だけでこんなに書いてしまった。まだ恨み節は続きます。

 

 

  • 演出について

ではここで海外版のCoAの映像をご覧ください(※公式映像です。1つめはOlivier賞授賞式のものなので、実際の劇場とは違うと思いますが照明の違いが分かりやすかったので)。

 

m.youtube.com

 

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まず違いを感じたのが照明。皆さん気づいてました?わたしは3回目で気づきました。CoAはハリウッド(現実)セクションはカラーで、映画セクションはモノクロで作られているんです。わたしも事前に海外ではそういう作りになっているということは知っていたのですが、日本版を見たときに「海外版みたいに色味変えてないじゃん!!」って思ったんです。3回目のときに何でだろうと注意深く観ていたら、ちゃんと映画セクションのときは登場人物はモノクロの衣装しか身につけていなかったし、ハリウッドセクションと並んでいるときはグレーがかった照明になっていたんです。驚き。なんでこんなに気づかなかったのか。座席が前方だったからかなとも思ったけど、少し引きで全体が見れる席のときも同じように感じた。恐らくですが、基本的にずっと明るい照明だからではないかと。映画セクションのセットの色味をグレーにしてるけど、それを感じさせない照明とは…?照明担当どなたですか…!?とプログラムをチェックしたよねハハッ

 

あと特に気になったのが空間の使い方。どこかの記事で(日本のやつか海外のやつかは忘れた)、この演目は場面数が多いから上演されにくいっていうことが書かれていたけど、日本版観て「ですねー」という感想。場面転換の度に暗転するので、笑いを取りにいって間延びた分に加えてのこの空白の時間によって集中力を維持できなかった。この脚本でこの演出(+役者の演技)ということを考えるとやっぱり中劇場はキャパが大きすぎる。空間が余りすぎていた。

mdpr.jp

リンク先のゲネの写真を見るとセットで詰まっているように見えるけど、実際はこの写真の枠の外は無です。再度言いますが、無です。オケを舞台上にあげていたの正解だね。オケがいなかったら舞台上空はさらに無の空間になってた。写真の画角内(2mくらいの高さのセット内)は作り込んでいるんだけどねー。空間を活かしきれていない。福田さんは映像畑の人だから、画角内のことしか考えてない?でもブロ銃のときはその点は気にならなかったから違うか…。やっぱりもっとキャパが小さい劇場でやるべきだった。

 

 

  • 今回の公演について

前回の感想でも書きましたが、全体的にクオリティが低かった。芝居、歌、演出。

Prologueのアンサンブルさんたちの歌ですが、この曲を歌いきれるスキルの方たちじゃなかったんでは…という気持ち。楢木さんがジミーとしてメインで歌っておられましたが、うーん…。そしてダンスはお上手な方なのに、今回の振り付けはその魅力が出ていなかった…。アンサンブルさんたちの曲が数曲あるんですが、どれも聴かせる感じではなくて辛かった。わたしは今後の公演でこの方たちのお名前があったら心配になってしまうよ…。

 

芝居に関しては特に優ちゃんが厳しかったかなぁ…。お芝居の仕事をあまりしていないっていう背景があるのは構わないだけど、だったらきちんと演出、演技指導しようよ福田さん。スタインの手紙を読み上げるところとか、ストーンとのやり取りの場面は、何と言いますか観ているこっちが恥ずかしくなってくる感じ…。歌とダンスは上手いと思うんだけど、ギャビーやボビーがどういう人間なのかが伝わってこないんだよなぁ。歌詞もするする~っと頭から抜けていく(但しこれは訳詞のせいもあるかもしれない)。棒読みでもないし、無表情でもないんですけど、芝居ができる人とそうじゃない人の違いを感じた。

「It needs works」のときのギャビーの気持ちが全然わからなくて、怒ってる→急に可愛げ出して甘える→怒り再び→スタイン送り出すっていう流れなんですけど、感情の起伏や真意が掴めない。なに?どういうこと?と英語版の歌詞とにらめっこ(日本語の歌詞は「書いて!」「台無しだわ!」「本読みも付き合うわ」くらいしか記憶に残ってない)。

By the finish, she has banded him his hat. Suitcase in band, Stine exists, leaving a sad Gabby alone.

sad Gabbyなんですよ。ここ。でも優ギャビーはスタインの背中を押して、彼に仕事行ってこいみたいな仕草をしているのですが、どっちかというと微笑んでいたんですよね(っていうかそもそもこの場面、ギャビーが客席に半分背を向けているから前方席か上手側サイド席じゃないと表情見えない)。ここで悲しい表情かそうじゃないかで、解釈全然違ってくるから!!

But call me anytime you seem yourself
When you've decided to redeem yourself
When you discover where this self deception leads
I'd rather see you shoot yourself
Than watch you prostitute yourself
Your new routine is too routine
It needs work

日本語でこんな感じのこと歌ってた…?記憶がない…。この歌詞とsad Gabbyなら彼女の気持ちや一連の行動の理解が深まる。あまりにもギャビーが何を考えているのかわからなかったから、この場面はスタインのギャビーに向ける優しくて柔らかい表情をひたすら愛でていた。

 

あと二朗さんのターンでよく起こっていたんですが、二朗さんがボケてる横で何もせずにそこにいるだけのあなたたち!!お願いだから芝居して!?!?ストーンがボビーの部屋でアーウィンと対峙するとき、銃を構えるだけのストーンとベッドでうつ向いて時々チラ見するギャビー。まぁそもそもの原因はボケを入れすぎて間延びしてるからなんだけどね…。芝居の濃度を密にしてくれ…。それと劇場のサイズにあった芝居をお願いします…。基本的に小劇場サイズ(TVサイズ?)の芝居のところに柿澤さんだけがきちんと劇場に応じた芝居をしてくれていた。

 

あ、良いことも少しは言おう。アドリブっぽい芝居はみなさんお上手でした!どこまでが台本かアドリブなのかわからない絶妙な力加減はさすが。但し「カッキー」って言わせる台本はまじで許さないからな!!グリブラコントはグリブラだけでやってください。

 

本当に柿澤さんと木南ちゃんが出てくれていて良かったよ。木南ちゃんの「You can always count on me」は自虐的な内容だけど、可愛くていじらしいダナとウーリーを魅力的に表現していた。柿澤さんはこの舞台のミュージカル部分の屋台骨だった。東京楽の柿澤さんのFunnyの迫力には圧倒されたし、物語の間を埋めてくれる芝居をしてくれていた。改めて柿澤さんの芝居歌が大好きだなぁと思ったよ。

 

楽曲がどれも素敵なだけに、別の演出家で観たかった。福田さんは王道ミュージカルだけじゃなく、もっと気軽に見にこれるミュージカルがあってもいいじゃないかと仰っていて、それにはとても同意できるんだけど、その結果がこの舞台というのは甚だ疑問。この作品である必要性はあったのか?もとの作品のクオリティからかなり下げられたものを見せられたという気持ちを抱かせる作りに反発があるのでは?その辺りが解消されない限り、福田さんの舞台は怖くて観に行けない。

 

もっと言いたいことあった気がするけど、疲れてきたのでここらへんで切り上げます。また思い付いたら追記するかも。

 

みんなお疲れ様でした!